日頃入った事のない、近所の住宅地の路地を歩いてみた。あるお宅には大きな石榴の木があり実を沢山つけている。珍しいなーと立ち止まって眺めていると、玄関内でガチャガチャ音がする。あわてて離れると小学生らしい女の子が出てきて、その手に一二個実がついた石榴の枝を持っている。一緒に出てきたお母さんから「走っちゃ駄目よ、落ちちゃうよ」と声を掛けられている。同じ方向に歩き出した女の子に「石榴だねー。めずらしいなー」と声を掛けると、「今日絵手紙を書くんです」と言って早足で去っていった。後ろから「一枝お持ちになりませんか」と声がかかった。答えがいけなかった。「絵手紙が欲しいですね」・・・まずかった、素直に頂戴すればよかったのに・・・。
鯰尾兜
細川家家臣吉田如雪家先祖附によると、その祖・美作は8,000石、息・作兵衛は別禄200石で蒲生飛騨守に仕えたという。蒲生家没落後共に牢人、美作は病死する。作兵衛は加藤主計頭(清正)に300石で仕官するも加藤家改易、後病死。息作左衛門も加藤家に在ったが牢人、慶安二年細川家の召し出しを受けた。
蒲生家で8,000石の家柄であれば、高名な家臣であったろうとインターネットで検索したがはかばしくない。
そして、熊本の安国禅寺には蒲生秀行のお墓があって、鎧を着た遺骸がでたと言われるが、これは果たしてどういう訳なのか。秀行女が加藤忠広室なのだが、とすると幾人かの蒲生家臣が加藤家に来ている事はないか。作左衛門もそんな一人なのだろうか。興味は尽きない。