人民動静 熊本県
一、九日(二月)午前一時出発、十一日午後四時熊本ニ着シ候得バ市街ハ一 般ニ何カ穏ヤカナラズ、家具等ハ総テ取マトメ、又老雅ノ者ハ難テ熊本ノ鄙邑ニ行ク者アリ。
一、熊本県士族上田休兵衛、宮川久米、此ノ二人ハ是マデ私塾ヲ開キ兼テ鹿児島辺エモ往来シ、又ハ当時勢ニ不服者ノ由、因テ探偵仕候得バ此ノ党ハ不義ノ挙ハ有ル間敷奉存候。(上田ハ川尻町奉行を称し民政を布き薩軍に与して八月斬罪、宮川は日向に潜伏十余年免罪)
一、池辺吉十郎氏ノ党ハ甚ダ多シ、人望有ル人ニテ熊本ノ動静ハ此ノ人ノ議ニ決スルト云フ也、併シ大義名分無キニハ妄ニ事ヲ挙ゲズト云フ論也。
一、宮崎八郎ハ兼テ鹿児島ニ往来シ又民権論ヲ主張シ、既ニ先日熊本ニ一揆ノ兆シ有ルモ此ノ党ノ為ス処ト云フ。
一、神風連之中或ハ病気又ハ旅中ニテ既ニ先日ノ挙ニ及バザルヲ恨ミ、動モスレバ暴発ノ兆モ有ル由ニ候共、誰某ノ説諭中ト乎云フ、尤此ノ党ノ首謀ハ福田萬太郎、梅田作十郎此二人ナル由
一、鹿児島之挙有ル時ハ、随テ熊本一般其党派ヲ問ハズ鹿児島ニ饗応ズルノ勢ヒ也。
一、鎮台士官某、鹿児島ニ火薬請取リニ行キ路ニ縛ニ就クト云フ、或ハ信(真)否明了ナラザルトモ云ヘリ。
一、鎮台ハ七日頃ヨリシテ食物等ヲ求メ大ニ備ヘヲ為セリ。
一、熊本士族諸所ニ集会スル由、併シ其議論ハ未ダ何等ノ議論タルカ審カニセズ。
一、十四日ヨリ鎮台ニ行ク要害ノ地ハ総テ兵ニテ堅メ居レリ。
一、熊本ニテハ刀剣ト見ヘシ物ヲ袋ニ入レテ以(持)テ歩行スル者往々有リ。
一、熊本士族等ハ火薬ノ類ヲ窃ニ買ヒ入レ候者モ之レ有ル由。
右熊本探索之始終、如是御座候也
明治十年二月十七日 立石栄蔵
(小寺鉄之助著:西南の役薩軍口供書より)
参考
2/15西郷軍進発 2/17西郷隆盛出発 2/19「鹿児島県逆徒征勅」発せらる・同日熊本城火災焼失 2/21西郷軍熊本城包囲
一、九日(二月)午前一時出発、十一日午後四時熊本ニ着シ候得バ市街ハ一 般ニ何カ穏ヤカナラズ、家具等ハ総テ取マトメ、又老雅ノ者ハ難テ熊本ノ鄙邑ニ行ク者アリ。
一、熊本県士族上田休兵衛、宮川久米、此ノ二人ハ是マデ私塾ヲ開キ兼テ鹿児島辺エモ往来シ、又ハ当時勢ニ不服者ノ由、因テ探偵仕候得バ此ノ党ハ不義ノ挙ハ有ル間敷奉存候。(上田ハ川尻町奉行を称し民政を布き薩軍に与して八月斬罪、宮川は日向に潜伏十余年免罪)
一、池辺吉十郎氏ノ党ハ甚ダ多シ、人望有ル人ニテ熊本ノ動静ハ此ノ人ノ議ニ決スルト云フ也、併シ大義名分無キニハ妄ニ事ヲ挙ゲズト云フ論也。
一、宮崎八郎ハ兼テ鹿児島ニ往来シ又民権論ヲ主張シ、既ニ先日熊本ニ一揆ノ兆シ有ルモ此ノ党ノ為ス処ト云フ。
一、神風連之中或ハ病気又ハ旅中ニテ既ニ先日ノ挙ニ及バザルヲ恨ミ、動モスレバ暴発ノ兆モ有ル由ニ候共、誰某ノ説諭中ト乎云フ、尤此ノ党ノ首謀ハ福田萬太郎、梅田作十郎此二人ナル由
一、鹿児島之挙有ル時ハ、随テ熊本一般其党派ヲ問ハズ鹿児島ニ饗応ズルノ勢ヒ也。
一、鎮台士官某、鹿児島ニ火薬請取リニ行キ路ニ縛ニ就クト云フ、或ハ信(真)否明了ナラザルトモ云ヘリ。
一、鎮台ハ七日頃ヨリシテ食物等ヲ求メ大ニ備ヘヲ為セリ。
一、熊本士族諸所ニ集会スル由、併シ其議論ハ未ダ何等ノ議論タルカ審カニセズ。
一、十四日ヨリ鎮台ニ行ク要害ノ地ハ総テ兵ニテ堅メ居レリ。
一、熊本ニテハ刀剣ト見ヘシ物ヲ袋ニ入レテ以(持)テ歩行スル者往々有リ。
一、熊本士族等ハ火薬ノ類ヲ窃ニ買ヒ入レ候者モ之レ有ル由。
右熊本探索之始終、如是御座候也
明治十年二月十七日 立石栄蔵
(小寺鉄之助著:西南の役薩軍口供書より)
参考
2/15西郷軍進発 2/17西郷隆盛出発 2/19「鹿児島県逆徒征勅」発せらる・同日熊本城火災焼失 2/21西郷軍熊本城包囲