津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

旧主を考える-5 赤松(斎村)左兵衛

2007-09-05 09:54:50 | 歴史
 興津景一、井門亀右衛門の旧主が赤松氏である。但馬竹田城主22,000石で、細川幽齋が田邊城に籠城したさい討手の一将として加わった。後東軍に転じるが、無益に城下に火を放ったことを家康に咎められて、切腹を仰せ付けられ赤松家は絶家する。
 さて、田邊城攻撃に当たっての二人の行動は、森鴎外の「興津彌五右衛門の遺書」に詳しい。忠興が田邊城へ送った使者・森三左衛門は興津景一の縁類であったが、景一は井門亀右衛門と謀り、三左衛門を城内に入れる事に尽力したという。赤松家の改易後、景一は森三左衛門の紹介によって忠興に召し出された。忠興の死に伴い、息・彌五右衛門景吉の殉死の模様を森鴎外が著した名作が「興津彌五右衛門の遺書」である。
 井戸亀右衛門の働きは、別途「北村甚太郎覚書」に詳細がある。其の働きぶりによって細川家に召し寄せられた。忠興の側近くにあって、後宇土細川家の家老職となる。(名君と称えられた宇土細川家六代藩主興文は、一時期井門家に養子として入っている)一族数家が細川家家臣となっているが、赤松氏家臣であったかどうかはよく分からない。

 二人の細川家の内通は、左兵衛は承知の上のことで有ったのだろうか。藤原惺窩に私淑援助するなど、文人の一面もあった。
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「沈黙のファイル」

2007-09-05 07:53:14 | 書籍・読書
 昨日の午前中、Yahooのトピックス欄をながめたら「瀬島龍三氏死去」とある。本棚を見つけると表記の本があった。共同通信社社会部編で第一刷は平成11年8月1日(新潮文庫)、副題「瀬島龍三とは何だったのか」とある。日本推理作家協会賞を受賞している。約10ヶ月で第七刷となり、私はそれを購入している。(元々は、平成8年4月共同通信社から刊行されている)読みかけのほかの本を小休止して、数時間掛けて読了。再び読むことはないだろうと本棚に戻した。
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