これも足利家末流の家柄として、その使用は「引輌紋」と共に歴史は古い。もともとは皇室の紋で、足利・織田・豊臣氏らが下賜されたものだが、足利氏はこれを功あった武将に与えた。「頼有公御譜」には「明徳二年頼有公為鎮中国之賞従朝廷 後小松帝 賜錦旗大樹又挭桐紋」とあり、朝廷から下賜されたものだとする。「藤孝公御譜」には「御部屋衆之時従義輝公賜之」と記されている。綿考輯録にある紋をみると「五三の桐」であることが分る。徳川家康は征夷大将軍に任ぜられた時、朝廷からの「桐紋」の下賜を断ったとされるが、豊臣家の家紋である為とも言われる。そういう意味から、細川家に於いても江戸期のにはあまり使用されなかったのではないかと思われる。
綿考輯録には上の紋が紹介されて、「(二つ)引輌」と記されている。
現在では「丸に二つ引き両紋」と呼ばれているようだ。
綿考輯録は「本より足利御一門之儀にて桐(後にご紹介する)引輌則、御家之御紋なり」とする。又、新続跡覧・巻二百七十六ノ三によると「引輌筋ハ清和源氏足利家御験二而御当家御先祖様御以来御用被遊候」とある。
足利義輝の子である西山道鑑(足利義辰)を祖とする、細川家家臣西山家も又この紋を使用している。
現在では「丸に二つ引き両紋」と呼ばれているようだ。
綿考輯録は「本より足利御一門之儀にて桐(後にご紹介する)引輌則、御家之御紋なり」とする。又、新続跡覧・巻二百七十六ノ三によると「引輌筋ハ清和源氏足利家御験二而御当家御先祖様御以来御用被遊候」とある。
足利義輝の子である西山道鑑(足利義辰)を祖とする、細川家家臣西山家も又この紋を使用している。
今日の熊本は猛暑日(35℃以上)の予想が出ていましたが、涼しい風が吹いて割と凌ぎやすい状態です。予想は外れたようです。最新の猛暑日は何時だったろうかと調べてみると、8月23日のことでした。今年の猛暑日はわずか7日しかなく、7月はゼロという異常でした。昨年(2008)は7月・13日、8月・21日、計21日、一昨年(2007)は7月・18日、8月・24日、計24日ですから、随分夏の気象が変化している事に驚かされます。過去に何度も書いた事ですが、熊本では藤崎八旗宮の例大祭(随兵祭)が行われる頃から急に涼しくなります。地元では「随兵寒合(ずいびょうがんやー)」と言っていますが、二週間ほどで「いよいよ秋・・」と言うわけです。梅雨の時期には度々随分つよい風が吹き荒れましたが、この時期台風がやってこないという現象にも異常さを感じますね。
台風も恐いですが、インフルエンザも恐いですね。中途半端に元気な爺にはワクチンもいただけないようですから・・・皆さん、ご自愛ください。
台風も恐いですが、インフルエンザも恐いですね。中途半端に元気な爺にはワクチンもいただけないようですから・・・皆さん、ご自愛ください。