津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・佐田氏

2009-09-14 13:03:27 | 歴史
 細川家家臣・佐田氏の祖は、大分県安心院(あじむ)町の佐田を本拠地とし、佐田城に居を構えていた。その詳細についてはOBSの素晴らしいサイトに頼る事にする。
    http://www.e-obs.com/heo/heodata/n305.htm

 また佐田城登山口にある「説明看板」もご紹介しておく。
          【佐田城(別名青山城)と佐田氏】
 標高約300mの青山を主体として、そこから派生する尾根や尾根先端部に土塁・空堀・
曲輪等の城郭遺構が東西1000m・南北600mにわたり、良好に残っています。
応永6年(1399)佐田親景(ちかかげ)が城井(きい)谷菅迫(現福岡県みやこ町犀川城
井)から佐田青山に移って築城したといわれています。
佐田氏は、有力な鎌倉御家人である宇都宮系城井氏の分家です。九州探題が九州に
下向する場合は必ず宇都宮氏に強力を要請しています。
この地は豊前国と豊後国の境界に位置しているため、大内・大友両氏の抗争の舞台と
なっています。佐田氏は、大内氏支配の時には宇佐郡代に任命されています。天正15
年(1587)黒田孝高(よしたか)(如水)が豊前6郡を支配すると、大友氏を頼って豊後へ
赴いています。しかし、文禄2年(1593)に大友氏が豊後国から去るにあたり佐田に戻り、
元和元年(1615)には細川氏の家臣となり、熊本転封に同行しています。
                    宇佐市教育委員会
                    佐田地区の歴史を考える会

 初代・五郎右衛門については、元和五年の「細川忠興公判物」「佐田五郎左衛門知行方目録」等が残されており、上記資料に即するものである。代々能吏として藩に仕えた。七・八・九代を特に記す。

 七代佐田宇兵衛(谷山)は 名は介景、字は子国、宇兵衛と称し、致仕して谷山と号せり。藩に仕へ小姓役を勤む。禄百五十石、程朱の学を好み、傍俳歌をよくす。春雛、箕足と号す。又音楽を能くし、曾て壽永筝を得て珍蔵し、孫宇平の時に献上して今は御物となれり。享和三年五月三日没す。享年七十五。墓は本妙寺中東光院。

 八代佐田右十(右州)は 名は英景、右州と称し、造酒之助と改む。食禄二百五十石、小姓役、使番、中小姓頭小姓頭等を勤む。多芸多能のひとにして俳辭、散楽、蹴鞠、茗理、篆刻、種樹等皆能くせざるはなし、又頗る剣技に長ぜり。文化十四年十二月五日没す。享年五十九。

 九代佐田右門(右平・吉左衛門)は 名は玄景、右平と称し、後吉左衛門と改む。藩に仕へ食禄三百五十石、奉行職を勤む。平素好んで詩書を謡し、史事を考證し、手に巻を廃せず。安永元年八月弐拾日没す。享年七十四。



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細川興元と立花宗茂

2009-09-14 12:47:01 | 歴史
 
              +--千代
              |
      立花道雪---+===宗茂=====
                         ∥
                        細川興元
 吉弘鑑理---鎮種---+---宗茂
              |
              +------------

 細川興元の後室は立花宗茂の養女であるが、実は実父・吉弘鎮種女であり、宗茂の実妹である。後室が興元の許に入った時期ははっきりしないが、慶長後期のことと思われる。立花宗茂は関ヶ原戦において西軍についたため改易された。柳川の地に帰るのは元和六年とされるから、興元(元和五年・卒)に宗茂女が輿入れしたのは柳川入国以前という事になる。陸奥棚倉において大名として復帰するのが慶長八・九年のようだからこの後の時期であろうか。(興元嫡男興昌は正室の腹から、慶長九年に生まれている)

 処で宗茂は改易された時、家臣たちを当時の熊本城主・加藤清正に預けた。熊本市京町には、それらの人たちが住んだ処が「柳川小路」という名前で残っている。
又、宗茂とは仲が悪かったと伝えられる室・千代が、玉名郡長洲町腹赤の地に移り住んでいる。腹赤とは景行天皇に「腹赤」という魚を献上した事で知られる土地である。
千代は宗茂の柳川帰国を待たずに、この地で亡くなっている。「ぼたもちさん」と呼ばれる不思議な形をしたお墓がこの地に残されている。
  http://www.town.nagasu.kumamoto.jp/ContentsView.php?Cd=040420070306104923&Level=3
 柳川立花家とは加藤氏・細川氏を通じて因縁深いものがある。
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