京都の某大学の学長で、日本中世史・女性史の専門家YT氏については、「細川ガラシャ」についても造詣が深く、著作やTV出演などで承知していた。ある方から宮津市に於いての歴史シンポジウム記録集をお送りいただいた。
末尾に「細川ガラシャ略年表」があり、ガラシャが三女・万を慶長三年に出産したと記されている。記念講演の講演者であるYT氏の発言の中にも、これに添った同様の発言がありこれはどうした事かと首を捻っている。なにかこのことを裏付ける資料があるのだろうか。
細川家史料によると、忠興の三女・万の生母は明智次右衛門女光忠女・小ややとされる。綿考輯録においても同様の記載がある。
新人物往来社の「細川ガラシャのすべて」にある、瀧 喜義氏の「細川ガラシャの出自と系譜」にはいささか首を傾げているが、氏はその真偽が云々されている前野文書(武功夜話)の研究者であられるらしい。この中で氏は、ガラシャは三男三女をうんだとされ、「万」はガラシャの子だとされている。
YT氏のお考えも、瀧氏同様前野文書(武功夜話)から出てきているのではないか。
こういう話がガラシャ研究の関係者から発言されることは大変危惧される事である。
綿考輯録をしっかりお読みいただくことをお薦めする。
末尾に「細川ガラシャ略年表」があり、ガラシャが三女・万を慶長三年に出産したと記されている。記念講演の講演者であるYT氏の発言の中にも、これに添った同様の発言がありこれはどうした事かと首を捻っている。なにかこのことを裏付ける資料があるのだろうか。
細川家史料によると、忠興の三女・万の生母は明智次右衛門女光忠女・小ややとされる。綿考輯録においても同様の記載がある。
新人物往来社の「細川ガラシャのすべて」にある、瀧 喜義氏の「細川ガラシャの出自と系譜」にはいささか首を傾げているが、氏はその真偽が云々されている前野文書(武功夜話)の研究者であられるらしい。この中で氏は、ガラシャは三男三女をうんだとされ、「万」はガラシャの子だとされている。
YT氏のお考えも、瀧氏同様前野文書(武功夜話)から出てきているのではないか。
こういう話がガラシャ研究の関係者から発言されることは大変危惧される事である。
綿考輯録をしっかりお読みいただくことをお薦めする。