津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・春木氏

2009-09-27 15:14:34 | 歴史
                            三つ盛木瓜紋

 「肥陽諸士鑑」を見ると、春木家の項には二つの家紋が紹介されている。
 一つは「丸に金文字紋」だが、これは嫡家の当主が金大夫を名乗ることが多かったからではないかと思われる。今一つが、三つ盛木瓜紋で、細川家家中では大変めずらしい家紋なのでこちらをご紹介してみた。

熊本城の北側に連なる台地を京町台とよんでいるが、かっては侍屋敷が大路を挟んで並んでいた。その大路が国道三号線となり、熊本城の真下を通って(城内である)熊本市役所前に出ていた。現在では三号線は場所を変え大きく迂回している。東及び西側は10数メートル落ち込んで平地となっている。その京町台と東側の寺原・壷井地域は、現在ではその高低差を急勾配の長い坂で繋がれている。江戸期その途中にあった春木家が敷地を提供して道路をつくり、住民の通行の便を図った。急な坂道であるが現在も「春木坂」として親しまれている。

嫡家は家禄1,000石、番頭や御町奉行・寺社奉行等を勤めた(春木熊四郎家)。分家(春木七郎左衛門家)は「木瓜紋」を家紋としているところをみると、本来の家紋は「木瓜」であったと思われる。
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ちょっとこだわってみる

2009-09-27 08:17:50 | 書籍・読書
 「山頭火 虚子 文人俳句」という著作がある。ここに先にご紹介した、虚子の「小国町南小国村芋車」という句ができた経緯、その他の考察がなされているらしい。
じつは此の句を地元の人が意外と知らない。何となく稚拙で言葉遊びにも思える句だが、私は名句だと思っている。それは小国町やお隣の南小国村(現在は町)の関係や、地理を承知していなければ理解が及ばないかもしれない。もう少し勉強をして、あちこちで薀蓄を垂れようと考え、いろいろ見つけていたら、お隣大分県の古本屋さんに安くてあったので早速注文を入れた。

 山頭火も熊本にはなじみ深い俳人である。この著作で虚子や山頭火について「目から鱗が落ちる」ような真実を知るような気がしている。

その著作について次のような解説がなされている。著者は斉藤英雄。
「三人の俳人の“阿蘇”行と三人の小説家の句作時代について詳しく論じた興味深い書」とある。
第1部 山頭火(山頭火と井泉水の“阿蘇”行について―日付を中心に;山頭火と井泉水の“阿蘇”行について―その実情;山頭火「まつたく雲がない笠をぬぎ」考―場所を中心に)
第2部 虚子(高浜虚子の「芋水車」の句について;高浜虚子の「大観峰」の句について;高浜虚子の「龍膽」の句について)
第3部 文人俳句(俳句とSF―眉村卓の場合;俳句と時代小説―藤沢周平の場合;俳句と推理小説―結城昌治の場合)

まさに時は秋、ちょっとこだわって読書をしようという次第である。
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