津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

待ち時間・・4時間 それでも

2009-09-21 19:45:46 | 徒然
 九州国立博物館で開催されている、「国宝阿修羅展」の人気が物凄く入場者でごった返しているようだ。長男は初日に出かけて拝観し大変な感激ぶりだった。私は膝をいためたのですっかり諦めていたのだが、「史談会」の例会での話しによると、現在待ち時間4時間で列が途切れないでいるという。いやはや大変な事になっているが、それでも見たいという気持ちはよく理解できる。
Pさんのブログをみていたら、松本からわざわざ上越市立総合博物館へ「御所参内・聚楽第行幸図屏風」を見に出かけられたそうだが、うらやましい限りである。こちらもさぞかし賑った事だろう。これこそ九州国立博物館へお出ましいただけないものか・・切に願うものである。しかしなんとか膝を直さないと、それどころではない。
      www.asahi.com/ashura
      www.asahi.com/culture/update/0911/TKY200909110178.html
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佐田家文書 1

2009-09-21 16:28:32 | 歴史
     9月14日ブログ「細川家家臣-佐田氏」でご紹介した佐田家には、沢山の貴重な史料が残されている。
     熊本県立図書館に収蔵されているが、日の目を見ずにある。何方か訓下にチャレンジしていただける方
     は居られないだろうか。新事実に遭遇するのではないかと期待できる史料群である。


1  浅草川小堀長順游之覚 写 原著宝暦10年 【佐田文書-92】 1856年  
2  阿蘇宮参拜記 天保八年四月  【佐田文書-28】 1837年  
3  阿曽大宮司所蔵古文書 写   【佐田文書-91】        
4  生田又助覚書 附細枝実記   【佐田文書-74】 1831年  
5  池邊寺文書 写          【佐田文書-63】 1843年  
6  石川開御買入一件抜書      【佐田文書-69】        
7  衣服御制度御書附之写      【佐田文書-7】        
8  宇佐紀行 文化十四年      【佐田文書-37】 1817年  
9  宇土御記録     【佐田文書-105】        
10 梅木田覚書 志水加兵衛 写   【佐田文書-77】 1849年  
11 頴才詩録 第1号  【佐田文書-109】        
12 横監対語 文政五年より     【佐田文書-12】 1822年  
13 大阪御供記 佐田義景 写   【佐田文書-94】 1803年  
14 御客帳 弘化四年三月      【佐田文書-6】 1847年  
15 小国満願寺傳来之書付 写   【佐田文書-64】        
16 御葬式しらべ帳 文政三年辰九月   【佐田文書-9】 印道八右衛門/著   1820年  
17 御手当名附 嘉永三年 写  【佐田文書-68】 1850年  
18 御納戸日記 堀田正俊.柳沢吉保 写 【佐田文書-85】 1796年  
19 覚 佐田          【佐田文書-14】 1828年  
20 覚 八代上納候分    【佐田文書-89】    
21 御妹様御病死…御吊儀御使者名簿   【佐田文書-34】        
22 御国律 宇佐永孚写   【佐田文書-73】 1829年  
23 御国律 佐田淑景 写  【佐田文書-76】 1864年  
24 御系譜 写 (細川斎茲まで) 【佐田文書-81】 1791年  
25 御小姓組四組御小姓頭支配名附 【佐田文書-72】        
26 家中式法覚 享和元年正月改正 写  【佐田文書-83】 1848年  
27 亀霍問答  【佐田文書-1】 1838年  
28 紀州百姓騒動一件  【佐田文書-19】 1823年  
29 九州史談会報 第3号(明治32年)   九州史談会 1899年  
30 熊本県史料 中世篇 第2 熊本市,飽託郡   熊本県
31 黒石山より所々迄出方帳 安政四年十一月  【佐田文書-13】 1857年  
32 犬咬急救録 千代村宗元  【佐田文書-61】 1777年  
33 見聞払記  【佐田文書-26】        
34 口上之覚 写  【佐田文書-78】       
35 上妻文庫 189 上妻 博之/写・編   1954年  
36 小倉大里滯陣中記 佐田彦之助 写  【佐田文書-102】 1964年  
37 [古文書写]  【佐田文書-90】        
38 御参勤陪駕途旅中日記 文化十二乙亥二月  【佐田文書-17】 1815年  
39 御使者番勤録 佐田写      【佐田文書-2】        
40 御奉行奉書控 寛永.正保等  【佐田文書-84】    
41 西国御郡代三河口太忠様御嫡深屋御止宿之節月番 文化十一年 【佐田文書-55】  
42 裁縫伝授書  【佐田文書-107】 1835年  
43 [雑記帳] 天明四年甲辰三月御先立被仰付 他 【佐田文書-35】        
44 雑記帳 羽衣.山姥 他  【佐田文書-36】        
45 雑記帳 文化九年ノ記 画師高雪峯の事等 【佐田文書-38】 1812年  
46 雑税 文化八年  【佐田文書-57】 1811年  
47 志方半兵衛有馬御陣中より洛外吉田ニ被成御座候三斉様江言上之書翰写寛永九 【佐田文書-71】        
48 [下作代入組等書付] 文化十三年改  【佐田文書-33】  1816年  
49 衆成講通帳 慶応元年十月  【佐田文書-10】 佐田新兵衛/著   1865年  
50 尚歯会之記 安永六年 安田貞方 写  【佐田文書-82】 1850年  
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藤崎八旛宮秋の例大祭

2009-09-21 11:56:07 | 熊本
 藤崎八旛宮の秋の例大祭は去る14日に奉納献茶祭、15日に献幣祭などが行われ、今日21日に最大の呼び物・神幸行列が催されています。神幸行列は藤崎八旛宮から新町のお旅所へ向う朝随兵と、お旅所から帰る夕随兵があり、みこしを先頭に、今年は69団体が飾り馬を奉納して馬を追い賑わいを見せます。参加者は16,000人を超えるそうです。
 かっては「ぼした祭り」と呼んでいましたが、これは加藤清正の文禄・慶長の役で「敵を亡ぼした」からそう呼ばれてきたというのが通説ですが、関係者はこれを認めないまま今日にいたっています。
その証拠は意外な事に熊本にも住んだ小泉八雲の次の手紙にありました。
  明治二十六年九月二十三日、小泉八雲は「『没したり、朝鮮没したり』を口々に叫びながら、興味深い馬飾りをつけた馬たちを町通りに駆けるのです」と、友人に書き送っています。核の密約問題がとやかく言われていますが、この「ぼした問題」も認めるものは認めて素直に謝ればよいと思うのですが、皆様は如何思われますか。

 この時期の朝夕の涼しさを熊本では「随兵寒合(ずいびょうがんや)」とよんでいますが、急激に秋の気配を深めていきます。
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浅野長政家臣・沼田氏

2009-09-21 09:52:53 | 歴史
 細川幽齋室・麝香の実兄・清延の四男・延元の家系が細川家家臣沼田氏である。清延は丹後中山城に在ったが文禄二年に亡くなっている。嫡子・貞弘(藤次、藤左衛門)は秀吉に仕えたが、後忠興に仕え福知山の戦いで亡くなった。二男延高(茂之助)は浅野長政に仕えている。(三男は仏門に入った。相国寺・林光院住持、沼首座)
    
 浅野長政は浅野長勝の養嗣子(長勝の姉の子)、秀吉正室ねねが長勝の養女であるから義理の兄妹であり、秀吉の信任も熱く五奉行の筆頭を務めた。
      www2.harimaya.com/sengoku/html/asano_k.html
      ja.wikipedia.org/wiki/浅野長政

 沼田延高は長政の元、高麗陣中で病死したとされる。末の弟・弥助なる人が述高の跡を継いだようだが、その足跡を知らずにいる。浅野一族は枝葉を広げている。どなたかご承知の方はご教示賜れば幸いである。
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