津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・溝口氏

2009-09-20 16:07:34 | 歴史
 細川忠利の室千代姫の弟・政房は、千代姫の実家小笠原家の重臣・溝口氏(美作貞康)の養子となっている。小倉小笠原藩にあったものと思われるが、承應元年に肥後に罷り越したとされる。この時代忠利、千代姫、光尚はすでに亡く、幼き藩主六丸はまだ綱利の名乗りもしていない。とすると溝口家の肥後入りは誰の肝煎りによるものだろうか。考えられるのは、綱利の後見役であった豊前小倉藩主の小笠原忠真(実兄)ではなかったろうかと推察される。高名な家臣としては、召しだしの時期が一番新しいのではないか。二千石を領して番頭などの要職を務めた。
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                           +--忠脩---長次(中津藩初代)
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                 小笠原秀政--- +--忠真(小倉藩初代)
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徳川家康---岡崎三郎信康---登久姫    +--千代姫(保寿院)
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                           |  細川忠利---光尚---綱利
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                           +--忠知(杵築藩初代・三河吉田藩転封)
                           |  岩槻藩・遠州掛川藩・陸奥棚倉藩・肥前唐津藩に転封
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                           +--松平忠重---英親(杵築松平藩初代)
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                           +--忠慶
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                           +--長俊
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                           +--溝口政房
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                           +--昌行

 小笠原家の家紋は三階菱とか松笠菱がしられる。小笠原家家臣溝口家の家紋は松笠菱に井筒である。そして細川家家臣溝口家は丸に井筒紋である。一門としてのつながりをうかがわせている。
コメント
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