津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・益田家

2009-09-22 13:42:57 | 歴史
                            右一つ丁子紋

 益田家の名を高らしめているのは、なんと言っても初代弥一右衛門の島原の乱における
一番乗りであろう。才助(弥一右衛門・正景)は「有馬之役武功・陳中専一の勲功」と称えられた。
   有馬城本丸一番乗--城中ニて敵を鑓付高名仕候、并甥岡本伝十郎ニ火を懸せ
   申候 本知百五拾石・千石加増御鉄炮廿挺頭・右本丸一番乗火之手を揚る功
   寛永十五年五月五日於本丸被仰渡 (綿考輯録・巻四十九)

処が実は幻の一番乗りがあった。田中左兵衛氏久(養子 初・佐久間忠助 隠居後宗白)である
   元和七年、中小姓・光尚付 寛永八年新知百五十石、島原陣後加増五百石
   同十八年加増五百石、小姓頭 正保元年加増千石 都合二千百五十石
   肥後藩初の城代職 後加増二千石、都合四千五百石 延宝四年正月致仕
    
  *原城にて武功の面々御褒美被下候 寛永十五年五月七日於御花畑--御陣刀
  *原城にて武功の面々御褒美被下候(肥後様衆)寛永十五年九月朔日 
                             黄金壱枚小袖二、羽織一
                               (綿考輯録・巻四十九)
  *原城にて武功被賞  二千石
    内本知百五十石なり、前ニ御褒美之所にも出、有馬之働為御褒美、二千石
    二成 後又二千石御加増、二十七日之所二委出   (綿考輯録・巻五十)
        (1)歩小姓 百石 (於豊前小倉御侍帳) 
        (2)御六様衆 百五十石
        (3)二千五百石 (真源院様御代御侍免撫帳)  
        (4)御留守居衆・与頭 四千百五十石 (寛文四年六月・御侍帳)
               慶安元年十二月~延宝四年一月(隠居)城代

これは幕府上使が田中左兵衛の一番乗りを確認していなかったミスによるものである。
細川家としても報告が成されたらしいが、幕府上使の意見が通っての益田弥一右衛門の名誉が確定した。細川家は田中左兵衛の気持ちを慮って、上記のように光尚亡き後の綱利代に至るまで手厚い処遇でこれに対している。

さて益田家六代・同名弥一右衛門は藩主重賢に仕え、時の大奉行・堀平太左衛門と雄を争ったが安永年上書をあげた。堀平太左衛門の治政に対する意見書であるが「私より申上候儀一切誰にも御意不被成候様奉上候、洩候ては御為に相成不申儀と奉存候」と、いささか穏やかでない。この上書は当事者である堀平太左衛門に下附せられ、堀の回答を詳記して益田の元に返し、再度の弁明を求められた。しかしながら弥一右衛門は答えることをせず職を辞したとされる。「両雄並び立たず」である。

しかしながら、代々要職に在って明治に至るまで名誉の家名を存続した。

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佐田家文書  2

2009-09-22 08:27:10 | 歴史
51 小代家系図 佐田氏 写 【佐田文書-101】 1852年  
52 寿仙院様島原陣御證書栞 佐田義景 写 【佐田文書-108】 1808年  
53 隨筆 (佐田義景) 文化六年正月十日起筆 【佐田文書-59】 1809年  
54 先祖附并御奉公附写 森寿吉 【佐田文書-87】 1823年  
55 高瀬清源寺.願行寺文書 長瀬助十郎等 写 【佐田文書-98】        
56 竹崎季長塔福寺寄進状 写長瀬真幸写 【佐田文書-65】  1833年  
57 忠利様肥後国御入国御供面々宿割付 佐田右門写 【佐田文書-104】 1810年  
58 玉名郡受村古墳墓誌考「内田手永薬師堂書付」 写  【佐田文書-3】 1836年  
59 丹羽亀亟言上 写  【佐田文書-86】       
60 鳥目覚 庚辰九月  【佐田文書-11】 印道八右衛門/著  1820年  
61 [月番御役心得] 永田写 【佐田文書-8】 1839年  
62 鉄炮注文三通 覚  【佐田文書-95】  1801年  
63 天保十三年壬寅目録 玖瑰園  【佐田文書-43】 1842年  
64 東行日記 寛政十一年 【佐田文書-5】 1799年  
65 東都白銀邸日記 文久二年正月 【佐田文書-20】 佐田 淑景/著  1862年  
66 途旅中日記 文化丁丑秋七月  【佐田文書-16】 1817年  
67 内大臣山并矢部馬見原川ノ口之紀行 佐田 【佐田文書-67】 1800年  
68 日載 天保五年 【佐田文書-22】  1834年  
69 日々禄 天保七年正月元日 【佐田文書-27】 佐田 愛景(勝彦)/著      
70 日表 天保三年壬辰正月  【佐田文書-51】  1832年  
71 日簿 文政十三年庚寅正月 【佐田文書-41】  1830年  
72 日記 慶応二年丙寅 【佐田文書-18】  1866年  
73 日記 天保十年己亥 【佐田文書-25】  1839年  
74 日記 天保六年 【佐田文書-30】       
75 日記 弘化三年丙午 【佐田文書-31】       
76 日記 嘉永7年甲寅 【佐田文書-4】  1854年  
77 日記 弘化五年戊申 【佐田文書-42】  1848年  
78 日記 嘉永四年辛亥 玖瑰園 【佐田文書-44】  1851年  
79 日記 嘉永二年己酉 壽永閣 【佐田文書-45】  1849年  
80 日記 嘉永六年癸丑 玖瑰園 【佐田文書-46】  1853年
81 日記 嘉永三年庚戌 玖瑰園 【佐田文書-47】  1850年  
82 日記 天保七年丙申 【佐田文書-48】     1836年  
83 [日記] 天保五年甲辰 【佐田文書-49】     1834年  
84 日記 弘化四年丁未 玖瑰園 【佐田文書-50】     1847年  
85 日記 天保九年戊戌 【佐田文書-52】    1838年  
86 二天一流 写 【佐田文書-100】        
87 二天記 写 【佐田文書-99】        
88 熱海笈の引出 天明四年甲辰五月 (雑記帳メモ) 【佐田文書-56】 1784年  
89 年頭御禮申上覚 【佐田文書-32】        
90 廃刀之儀ニ付加屋霽堅当県令江上書之写 【佐田文書-79】  1876年  
91 はきのつゆ 写 催馬楽のうち 【佐田文書-110】        
92 藩翰譜之内 細川譜考異 佐田英景写 【佐田文書-60】  1800年  
93 鄙日記 文化甲戌年夏卯月 【佐田文書-39】 1814年  
94 秘府記略 五上 写 【佐田文書-96】        
95 秘府記略 五下 写 【佐田文書-97】        
96 豊前紀行 【佐田文書-53】  1817年  
97 豊前国小倉在陣中日記 元治元年十月一日 【佐田文書-29】 1864年  
98 文化十年暮江戸御人賦津田平助手元ニ而相調監物殿相達候写 【佐田文書-54】  1813年  
99 [細川氏系譜] 写 【佐田文書-24】        
100 [細川輝経公] 写 松井家旧記ノ内書抜 【佐田文書-66】     
101 堀太夫行状 写  【佐田文書-93】   1841年  
102 漫録 【佐田文書-●●】  1807年  
103 漫録 写 【佐田文書-80】        
104 水野家記 日下部景衡 写 【佐田文書-88】  1862年  
105 宮城野土産 【佐田文書-70】       
106 宮城野土産追加 佐田亥之助(淑景)写 【佐田文書-●●】  1869年  
107 夢中の妄想 写 【佐田文書-106】  1862年  
108 蒙宰司徒寮 坂田玄景写 【佐田文書-62】 斉藤 高寿/編   1820年  
109 由来書高砂一巻并書通之写 天野屋 写 【佐田文書-75】   1847年  
110 萬之控 【佐田文書-58】        
111 □禄日記 文政六年 【佐田文書-21】  1823年  
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