津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「寛永時代」

2010-08-12 18:53:12 | 書籍・読書
寛永時代 (日本歴史叢書)
山本 博文
吉川弘文館

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細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年六月(1)

2010-08-12 14:32:54 | 歴史
 しばらくお休みしていました、「細川小倉藩・御用覚書之帳」を「元和九年六月分」から再開することにしました。

■六月朔日 曇 時々きり雨フル 当番仁保太兵衛

   古苧ハきれ候て、打候事不成由申ニ付、御たゝミの古へりを中籠ニ仕候へと申付候
一、御馬のはらかけの事
  
   成田與平次・小林與助へ相渡候也
一、宣貞打直シノ御脇差渡事

   六月三日ニ、けんこ被参、もはや便船候て、御飛脚被成御上之由、被申候也
一、奥より、大坂へ之舟便可申上候御飛脚、壱人可被遣之旨、被仰出事

   御籠(牢)へ入申候也
一、しい村(規矩郡志井)庄屋惣右衛門事

   宮ア久三郎・佐方少左衛門方へ、状をそへ、書物遣候、返答在之者、重而書物持参候へと申遣也
一、企救郡朽綱村之百姓小右衛門養子、大橋村(京都郡)へ走申ニ付、書物被上候事

   小左衛門(野田幸長)同心無之候共、此差帋ハゐ兵衛(田中氏久)手前可被留置候由申候て、ゐ兵衛渡候也、御米ハ小左
    衛門存分ノ通ニ積被申との儀也

一、昨日ノ千石米積様、割符ノ差帋、小左衛門被戻候事


■六月二日 晴天 夜雨フル 当番小篠次大夫

   御加子無之ニ付、浦水夫申付候処、越前宰相様御物御送参候御船、弐艘朔日ノ夜戻、其御加子三拾弐人申付、今日遣候事
一、中津小御上様(三齋妾)御煩ニ付、見齋御薬二而無御験故、重而、上方へ御薬師呼ニ被遣候、
   御加子三拾弐人申付候へと、続少助・長船十右衛門方より式ア殿・民ア殿、我々三人へ申来
   候事
   この人が誰なのか確たる証拠は無いが、細川立允(立孝)・興孝(刑部少輔)の生母・清田氏だと思われる。

   判形候て遣候事
一、元和八年分之御免定之帳八札(冊)、河喜多五郎右衛門より被越、判形候へと被申候事

一、田川郡内田村、種子米拾八石借シ被下候へと、山本二郎右衛門・問四郎左衛門被申上候事

一、御馬のはらかけ、長さ六ひろ半、六寸まわり一筋ニ、もんめんのゑり十一、中こミの古たゝミの
   へり弐百五十、たゝミやのへり十一入由、(河田)八右衛門申候事

一、宇野七右衛門・釘本半左衛門・上方より被罷下候事

  

  
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昔も今も・・・?

2010-08-12 08:39:05 | 歴史
 最近の親殺し・子殺しや高齢者の生存が確かめられないというニュースを聞くと、本当に暗澹たる気持ちにさせられる。「文化五年十二月御達」を読むと、この時代の子育てにかんする状況が伺えて興味深い。

 一、御家中長屋借等末々之者、間ニは子供を不法に呵(シカ)り候もの共有之趣相聞不心得之事ニ
    候、依之町方へ及達候書付寫一通相添候間、右之趣家主/\よりも兼て被附心候様、一統
    可及達旨候條、左様御心得、以下例文
         十二月廿七日              御奉行中
  
    親の子におしへ候は當前之事ニて、不心得之ものハ折檻をも可致儀ニ候得とも、末方之もの
    間ニは不法に子供を呵りのゝしり、銘々腹立のあまり二辨なく子供を打たゝきをも致候ゆへ教
    には不成、却て生立候ものへ心はへも不宜成行候間、實子・養子・まゝ子并里子迄も教育不
    法之筋無之様、町中末々裏屋・借家二懸入數之者、家内/\二至迄、丁頭・組頭より兼て深
    切に申示候様、若不法之筋も有之候ハゝ五人組・親類等より心を付、其上ニも不相用者ハ丁
    役へ相達候様、勿論子の方よりも孝行二致候様ニとの事、是又五人組より心を付候事は不及
    申候間、此段も可被申聞候事
         十一月

 向こう三軒両隣の付き合いさえ希薄になっている昨今、今一度この「御達」を噛みしめてみるべきだろう。
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