細川公寄贈の蕣(朝顔)の鐘
ja.wikipedia.org/wiki/津山城
津山城の歴史 www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/index.html
津山故老の物語ニ、当地先主森中将忠政津山城経営之初、豊前の国小倉之御城を写され度思召、密ニ人を遣し小倉の海上より御城の体を遥に望窺けるに、御城より怪しく思召尋有之故、其子細を具ニ述けれハ、其人を御城に被召て、くわしく見分被仰付けるよし、此時小倉は細川公御持也、細川公と森公と兼而御懇意之由也、其後津山城成就して、細川公江戸御往来之時、御見分の為に津山川下迄御出被遊、遥に城を御覧ありて御戯に甚御嘲被成候由、其時森公の御家老御迎ニ参、御戯言を承り実事と存、彼是申分有之由、夫故津山迄御入不被成候て御帰り被成候よし申伝候也
天守に懸り候鐘は細川公より御送り物なり、蕣なりにて九曜御紋付也、是ハ実事ニ而只申伝計ニ而ハ無之
(綿考輯録 第三巻 忠興公・下 p339)
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津山城の歴史 www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/index.html
津山故老の物語ニ、当地先主森中将忠政津山城経営之初、豊前の国小倉之御城を写され度思召、密ニ人を遣し小倉の海上より御城の体を遥に望窺けるに、御城より怪しく思召尋有之故、其子細を具ニ述けれハ、其人を御城に被召て、くわしく見分被仰付けるよし、此時小倉は細川公御持也、細川公と森公と兼而御懇意之由也、其後津山城成就して、細川公江戸御往来之時、御見分の為に津山川下迄御出被遊、遥に城を御覧ありて御戯に甚御嘲被成候由、其時森公の御家老御迎ニ参、御戯言を承り実事と存、彼是申分有之由、夫故津山迄御入不被成候て御帰り被成候よし申伝候也
天守に懸り候鐘は細川公より御送り物なり、蕣なりにて九曜御紋付也、是ハ実事ニ而只申伝計ニ而ハ無之
(綿考輯録 第三巻 忠興公・下 p339)