【三〇五】
一、米田與五郎殿儀御家老被仰付、米田波門殿・平野新兵衛殿御中老被仰付旨今日於御前被仰渡
候、尤波門殿・新兵衛殿儀御家老ニ加諸御用被相勤候、大御目附・御側支配之儀は今迄之通被
仰付置候、此段觸支配方へも、以下例文
安永三 六月廿三日
【三〇六】 抜粋
一、長岡助右衛門殿隠居、與七郎殿家督、諸事助右衛門殿通被仰付候、十二月朔日御達
一、日隈杢大夫隠居・志水才助御奉行被仰付候段、十二月八日御達
【三二三】
一、堀平太左衛門殿今迄之御足千五百石地面被直下置候段、(安永七年)九月九日御知せ之事
【三三〇】 抜粋
一、志水才助儀大御奉行被仰付御足五百石被増下、小笠原備前次座被附置江戸詰御家老代役被仰
付旨、(安永八年)先月十八日於江戸被仰渡候御達
【三三六】 抜粋
一、堀平太左衛門殿當時迄大奉行兼帯被仰付置候處、右兼帯は被遊御免、別帋之通被仰付候、各
えも可被承置候、則名付相渡候、以上
(天明元年)二月十四日 (以下略)
【三三八】 抜粋
一、米田波門殿隠居八十人扶持被下置、章太郎儀千俵被下組外被仰付候、二月廿五日申渡有之候
段、(天明元年)二月廿九日御達
【三四〇】 抜粋
一、小笠原備前殿、(天明元年)五月十三日於江戸御中老被仰付候段御達
一、説姫様閏五月十五日親(チカ)姫様と御改被成候、六月十三日御達
一、細川亘理殿、若狭守殿遺領相続被仰出(六月十一日)候ニ付、七月十日御達
【三五〇】
一、(米田)助右衛門殿、監物殿と改名、年頭より改被申筈候段、(天明二年)十二月御達
【三五二】 抜粋
一、松井式部殿御用見習同席へ被差出候儀、(天明三年)三月十五日御達
【三五四】 抜粋
一、三淵伊織助殿病気御断、御中老同列桐之間詰之段、右同日(天明三年八月廿五日)御達
一、親姫様喜十郎様と御縁組御願之通(八月十四日)被仰付候段、九月五日御達
一、平野新兵衛御家老三淵殿跡組御預之儀、九月朔日御達
【三五七】 抜粋
一、志水才助殿御中老被仰付大御奉行直ニ兼帯、(天明四年)六月四日御達
■ 天明五年十月廿六日、細川重賢死去
■ 天明七年九月十六日、細川治年死去