「度支彙函」に「月代」に関する話題がある。「消息いろいろ」と前後する部分があるがご紹介
しよう。
【八九七】
一、風邪流行ニ付、諸御役間詰之面々長髪被成御免相老段、御用番被申聞候條、
左様可被相心得候、以上
(文政四年)正月廿二日 御奉行中
よほど寒い年で有ったのだろうか。「月代」を剃らずともよいというお触れである。当時風邪をひく事は命にもかか
わる事であったから、このような処置が真剣に検討されたのであろう。私にとっては初見の資料である。
【九六八】 抜粋
一、今度之御凶事(藩主齊樹死去の事)ニ付、御家中之面々何レも月額剃不申、長髪ニ
て居申ニて可有之候、御科中家来/\ハ夫ニ不及候(以下略)
(文政九年)二月廿三日
こちらはよく見られる事例である。藩主が亡くなると月代を剃る事を禁じられる。不思議な服喪の習慣である。
母方の祖母の話だが、親族の某が明治の断髪令に相当反抗したらしいが、とうとう断髪して総髪とした折、「頭がのぼせてたまらぬ」といっていつも扇子で扇いでいたという。
しよう。
【八九七】
一、風邪流行ニ付、諸御役間詰之面々長髪被成御免相老段、御用番被申聞候條、
左様可被相心得候、以上
(文政四年)正月廿二日 御奉行中
よほど寒い年で有ったのだろうか。「月代」を剃らずともよいというお触れである。当時風邪をひく事は命にもかか
わる事であったから、このような処置が真剣に検討されたのであろう。私にとっては初見の資料である。
【九六八】 抜粋
一、今度之御凶事(藩主齊樹死去の事)ニ付、御家中之面々何レも月額剃不申、長髪ニ
て居申ニて可有之候、御科中家来/\ハ夫ニ不及候(以下略)
(文政九年)二月廿三日
こちらはよく見られる事例である。藩主が亡くなると月代を剃る事を禁じられる。不思議な服喪の習慣である。
母方の祖母の話だが、親族の某が明治の断髪令に相当反抗したらしいが、とうとう断髪して総髪とした折、「頭がのぼせてたまらぬ」といっていつも扇子で扇いでいたという。