津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

有吉家文書「年中行事抜粋」(四十五)五節句御禮之式 2/2

2011-10-24 08:50:26 | 有吉家文書

一、夫より御小姓頭案内有之候得ハ御用番
  初之通罷出組外以下此着座まゝ一同ニ
  謁を受元之如入候得ハ右之面々御弓間
  御板椽之様ニ退去之事
      此所右ニ絵図委之
一、御礼相済候節ハ御小姓頭佐野御間
  まて罷出知せ有之候間夫より皆退出落間
  より多門之様ニ罷通り詰間江引取候
  事
      但御弓之間御椽側ニハ御使番西向ニ
      列座いたし居其次引下り御目附も
      一人座着いたし居候得共無構罷通
      候之事
一、御禮御物頭列已上出仕之事
一、三月四日・五月四日寄合者差止前日
  翌日之上巳端午之御礼ニ寄合候場
  も取来相済候依之御備頭御留守居
  大頭茂月並伺御機嫌茂右節句
  節句ニ伺有之候事
      但文化十二年三月四日之寄合より
      本行之通りニ相極候事
一、九時を承御用聞退出之事
  五月五日者御備頭御留守居大頭江
  陣行営并兵粮積帳差通候手数左之通
一、御備備より陣行営三人一箱宛御留守居大頭
  より兵粮積之帳連名一箱差上候を
  御発駕前被遊御下候付其儘政府へ
  差置詰間御下国之年之五月五日御
  禮後御用番坐ニて返候手渡いたし候付封
  印を不用差返候
  右御礼前相渡候儀も有之候前後之内
  イツレニても不苦候
一、同詰間江相見候様坊主を以申趣候得ハ
  出方有之候事
      但前後如何間違候哉封印之儘
      返達ニ相成候儀も有之候間左様之儀
      無之様入念可申事
一、今日不参之衆ハ近日寄合之節相渡候
  併寛政十一年五月五日御備頭清水
  数馬病中ニて出仕無之候付御用番
  封印を用同役尾藤助次郎江相渡通
  有之候様申達候儀も有之候事
一、転役之面々之箱わ直ニ留置申候
  事

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ご紹介・・舞鶴地方史研究会応援ブログ

2011-10-24 08:01:18 | 徒然

 畏友T氏が「舞鶴地方史研究会応援ブログ」を立ち上げられたが、ご紹介するにはいささか時期を失してしまった。

                          http://ohenmaizuru.cocolog-nifty.com/blog/

舞鶴における細川家、特に幽齋公や三齋公に対する敬意の念は、熊本以上かもしれない。
田邊城(舞鶴城)におけるお祭なども、すっかり市民の間に根付いている。

細川氏以降、丹後田辺藩は京極氏→牧野氏と明治に至っている。また細川氏入国以前の歴史を含めて、舞鶴地方史の研究は熊本人にとっても大変興味あるところであり、又活発な活動もうらやましく拝見しているところである。
氏は芦屋にお住まいであり、諸行事については舞鶴までお出かけになっているのであろうが、熱い思いに頭が下がる。

会やブログのご発展をお祈りするばかりである。

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