津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

介錯する人、される人

2011-10-22 16:22:22 | 徒然

                                   『美女という災難』の表紙画像

 サラリーマン・エッセイスト近藤健氏から、文庫版の「’08年版ベスト・エッセイ集」を御恵贈いただいた。氏はすでに五回にわたり掲載の栄誉を得られた実力者なのだが、そのすべての五冊の新刊本と文庫版一冊を拝受している。
今回の文庫本には「介錯人の末裔」という、著者の大叔父「メラ爺」を主人公とした、温かみに溢れた佳作が掲載されている。

 近藤氏は赤穂義士・堀部弥兵衛の介錯役を勤めた細川藩士・米良市右衛門のご子孫である。私は米良氏のご子孫が北海道にお住いだという情報を得て、数軒の米良氏に手紙をお出しした。的は当っていたらしいがご返事をいただけないまま、暫くの時間が経過した。その後、赤穂義士の研究家である東京在住の近世史家佐藤誠氏を通じて、近藤氏との知遇を得たのである。佐藤氏により米良家に残されていた史料の研究・解読がすすみ、近藤氏の卓越した文章により米良家の歴史がよみがえっている。(100数十ページに及ぶ原稿を頂戴した)私もいささかのお手伝いをした。将来出版もお考えらしい。

 このたびの御恵贈の本に一枚の写真が挟まれていた。近藤氏と堀部弥兵衛・安兵衛のご子孫・佐藤紘氏が並んでの写真である。場所は東京高輪の細川邸跡の赤穂浪士切腹の場所である。切腹する堀部弥兵衛、介錯する米良市右衛門それぞれのご子孫が顔をあわせられたのである。その顛末が「介錯人の末裔」に記されている。仲介の労をとられたのは、先の赤穂浪士研究家の佐藤誠氏である。
なんとも粋な話ではないか。介錯する人、される人のご子孫の交友は四年を経過したという。

 (株)文藝春秋により29年間続いてきた「ベストエッセイ集」の発刊は、2011年版を最後として終わりと成るらしい。
親しんできたこの本が来年は読むことが出来ないのは残念のきわみではある。

 氏のエッセイは当サイトの「コーヒーブレイクエッセイ」で御覧いただける。(米良氏の歴史についても発表しておられる)
ちなみにベストエッセイ集に掲載されたものは以下の通りである。                 

  • 05年ベストエッセイ集・掲載・・「警視総監賞」
  • 06年ベストエッセイ集・掲載・・「昆布干しの夏」
  • 08年ベストエッセイ集・掲載・・「介錯人の末裔」
  • 09年ベストエッセイ集・掲載・・「増穂の小貝」
  • 11年ベストエッセイ集・掲載・・「風船の女の子」    http://www.kitanihon-oil.co.jp/pc/essay/tsuguo01.htm

 

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東区ん家

2011-10-22 11:28:29 | 徒然

 先の熊本市の政令指定都市移行決定のニュースが流れたとき、我が家が「東区」になることで、「東区ん家」という東区に特化したサイトかブログを立ち上げようかと一瞬考えた。つまるところ、いまでもサイトの維持に苦労しているのに出来っこないなーと即諦めた。しかし中々のネーミングなので誰か使ってくれないかしらと思っている。

 「ひがしくんち」と読ませたのだが、古い熊本弁では「ひがしくんげー」となる。
今でも使う人が居るかもしれないが、子供たちも「ひがしくんげーに遊びに行ってくる」などと使ったものである。
「東区ん家」と書いてみると、「げー=家」だから、「家=け」が「げ」に変化したものなのだろう。(私の得意な推量に過ぎないが・・)
熊本弁には古語が随分多く残っていて、思いがけない言葉に出くわすと嬉しくなってしまうことがある。

 そのうち、居酒屋さんかなにかで「東区んげー」などというものが登場するかもしれない。
ほかにも、南区・西区・北区も使えそうだから、商標登録でもするか・・・・(だれも使わないか???)

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