津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

三人の男の関係・・

2011-10-25 13:20:28 | 歴史

 一見なんの関係も伺えないような三人の男は、女系によって繋がっている。
どのような出会いがあってか興味深いところだが、皆目見当が付かない。

         ・織田高長
              織田信雄(信長次男)の六男、細川忠興の元で竜王城預かり(長岡信友)
              後出雲守、大和松山藩(20,000石)初代藩主、四代目以降柏原藩主
              正室はないとされるが、細川家史料によると薮内匠女である。
         ・薮 忠綱(内匠)
              中村一氏臣薮伊賀守男、細川忠興に召出12,000石、長岡信友(織田高長)岳父
              妻・加藤重徳女、相聟・黒田蔵人
         ・加藤重徳
              有岡城に幽閉された黒田如水の面倒を見、のち次男・一成が如水の養子となり美奈木黒田家を創家
              嫡男・吉成も後黒田家家臣と成り代々重役を務め、幕末期の司書は乙丑の獄に於いて自刃す。
              系図によると重徳妹が「細川兵部大輔藤孝室」とある。法名大法院日周
              室は郡宗保の妹(郡宗保女が細川忠興側室・松之丸)

 加藤重徳女が細川家臣薮忠綱に嫁いでいる。この人の子であるのかどうか判らないが、忠綱(内匠)女が忠興の庇護の元に豊前に在った時代長岡信友(織田高長)室となっている。高長には正室がないとされているが、大和松山藩主となる以前のことであるため、幕府に届出がなされていない故であろう。この女性については細川家史料に詳しいが、高長について記されている柏原藩の史料では全く触れられていない。
              柏原藩史  http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765509

 ひょっとすると、加藤重徳の外孫女が織田高長室であるという可能性が見え隠れしている。

 また、重徳妹が「細川兵部大輔藤孝室」とする説の信憑性や、細川忠興と側室・松之丸(郡宗保女)の出会いはどういう経緯であったのか、細川家と伊丹氏(=加藤氏)の関係が黒田蔵人(伊丹氏)召しだしの経緯を含めて大変興味深いものがある。
          

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有吉家文書「年中行事抜粋」(四十六)講堂御賞美申渡、同席之子弟御用左之通

2011-10-25 08:11:34 | 有吉家文書

  ○講堂御賞美申渡

一、三八之内講役ニ申渡候事
一、前々日呼出之事
一、申渡并繰出之書附等講役ニ於
  君子斎御奉行差出候事
     但佐弐役茂致出席候事
     一両人位之節ハ佐弐役不罷出候付申
     渡之書附ハ前日ニも詰間ニおゐて
     請取候尤御小姓頭御使番も右同断
     にて繰出ハ学校御目附より取計候併
     講目ニ者御使番罷出候付居懸ニ
     取計候儀も有之候事
一、講堂御間取年始御挨拶之通ニ
  候事
一、繰出名附講後ニ御小姓頭江相渡宜
  時分同人より案内有之候事
一、出席之時東中側を通り屏風北迦より
  出坐此時御奉行御目附助教学校
  御目附一人東之入側之末ニ控居同席之
  跡ニ付致座着候事
     但此式ハ諸事御小姓頭より取計候事
     学校御目附ハ無拘両人共列座ニ而有
     之候助教ハ一人列座之事
一、右御奉行以下同席之左之方壱間程
  離レ列坐之事学監ハ障子之内御用之面々
                 出口より少引退北向ニ年始
  之通坐着此所之脇ニ御奉行
  以下筋違ニ座着之事
一、御小姓頭ハ繰出口外南入側同席之方
  向南之障子を後ニ〆座着其次ニ御使番
  一人座着繰出候事
     但一人之御使番ハ障子之陰ニ居ニ而取
     計之事
一、御用之面々繰出様軽輩迄年始之
  通候事
一、着座已上出所者畳壱枚進ミ座着
  之事
一、当代者組頭無足ハ父兄同伴之事
     但軽輩茂同道人士席之節者
     同道人際内ニ入候事
一、陪丞者文ハ訓導武ハ師役より同道
  有之候事
一、右相済申渡書付者壱通も不致其
  席ニて学校御目附江相渡候事
     右申渡之書付御奉行江相渡書留
     事茂有之候得共本行之通ニ付学監江
     渡候方宜候事
家伝之書付
  学監ニ申渡之書付を申渡相済之上相渡候儀
  申渡前ニ卒度申述置候筈之事
  右申渡書付ハ学校御目附受取追而
  佐弐役江致返納候事
一、申渡之書付并不参之面々江申渡之書付
  其外詰間ニて助教へ相渡候諸書付無之
  候之事
一、年始と違此御用者相済候上同席廻
  有之候事

 

  ○同席之子弟御用左之通

一、御用有之候段前々日詰間父兄出懸り
  に御用番坐ニ呼書付相渡候事
  文化十一年二月廿八日美濃嫡子小笠原孫次郎
  御用有之節遂吟味控置候事
一、御請は其席ニ而一ト通御用番江                
  申達罷帰候上御用番江使者口上書
  持参之事
     但御用有子弟御請ニ相見候儀無
     之候事
一、当日者肩衣着罷出候事
一、同道人無之候事
一、右之通ニ付三家衆二男末子弟御
  用有之候ハヽ右ニ准可申事

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