友人が妙解寺(現・北岡自然公園)に出かけたらしい。「おい、入口の変わっとったばい・・知っとったや・・・」
久しぶりに出かけるとこういうことになる。安國寺横の旧入口の方へ向かったらしい。
新幹線開通に伴い、駅に近い妙解寺も観光資源にしようと、修復工事などを行い昔の正門を出入り口に替えた。
神風連の挙に際しては学校党の人たちがここを守ったと伝えられ、佐々友房らの参加を促して一部の神風連の人たちが訪れたが追い返されている。当時とは様変わりしていようが、橋の前の広場はこれらの人たちの声高のやりとりで騒然としたことであったろう。
西南の役が始まり西郷軍が城下に入ると、官軍は「射界の清掃」と称して城下に火を放つのだが、その前には細川家に連絡が入ったと思われ、幼い三人の姫君はこの門を出られて市内を縦断、泰勝寺に逃れられたという。直後城下は火の海となった。長い逃避行を経験されることになる。 http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/3270/1/BR0093_73-109.pdf
現在永青文庫の「北岡文書」と呼ばれる膨大で貴重な史料は、西南の役、第二次世界大戦の戦禍にあうことも無く、ここのお蔵で無事であった。
友人にあれこれ説明をすると、「出かける前に聞いとかなんだったね~」とのたまう。ご尤も・・・・・・・・