津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

妙解寺(北岡邸)跡

2011-10-03 20:51:56 | 熊本

 友人が妙解寺(現・北岡自然公園)に出かけたらしい。「おい、入口の変わっとったばい・・知っとったや・・・」
久しぶりに出かけるとこういうことになる。安國寺横の旧入口の方へ向かったらしい。

 新幹線開通に伴い、駅に近い妙解寺も観光資源にしようと、修復工事などを行い昔の正門を出入り口に替えた。
神風連の挙に際しては学校党の人たちがここを守ったと伝えられ、佐々友房らの参加を促して一部の神風連の人たちが訪れたが追い返されている。当時とは様変わりしていようが、橋の前の広場はこれらの人たちの声高のやりとりで騒然としたことであったろう。

 西南の役が始まり西郷軍が城下に入ると、官軍は「射界の清掃」と称して城下に火を放つのだが、その前には細川家に連絡が入ったと思われ、幼い三人の姫君はこの門を出られて市内を縦断、泰勝寺に逃れられたという。直後城下は火の海となった。長い逃避行を経験されることになる。        http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/3270/1/BR0093_73-109.pdf

 現在永青文庫の「北岡文書」と呼ばれる膨大で貴重な史料は、西南の役、第二次世界大戦の戦禍にあうことも無く、ここのお蔵で無事であった。

 友人にあれこれ説明をすると、「出かける前に聞いとかなんだったね~」とのたまう。ご尤も・・・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年

2011-10-03 18:52:54 | 書籍・読書
             子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年 (新潮選書)

                 新潮社

内容(「BOOK」データベースより)

子規に「卑俗陳腐」と一刀両断された江戸後期から幕末・明治の俳句。だが意外にもそこには「名句好句」の数々が!松山藩家老奥平弾正、最後に幕臣中島三郎助、土方歳三、漂白の俳人井上井月、さらには無名俳人や女性たちの秀句…。芭蕉・蕪村・一茶の「ビッグ3」から近代俳句の父・子規へ、滔々と流れる俳句史から「消された百年間」を鮮やかに蘇らせる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

今泉 恂之介
1937年東京生まれ。上智大学文学部独文科卒業後、日本経済新聞社に入社。運動部次長、社会部編集委員を経て、論説委員として朝刊コラム「春秋」を担当。その後、中国河南省鄭州大学客員教授、流通経済大学教授を務め、2007年、全国初となる俳句振興のNPO法人「双牛舎」を立ち上げ代表理事に

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする