県立図書館に行ったついでに、近代文学館(同じ建物の一階です)を覗く。上記の催しの最中で、六曲一双の屏風が二双出品されておりこれが出色・・・明治初頭の城下が戦禍に会う前の「熊本城下明治絵図」と、花畑邸などが取り除かれ錬兵場がもうけられた図である。新旧対比が出来興味深い。またいろいろ貴重な展示は、文学館ならではの内容ですばらしい。ご一見をお薦めする。
県立図書館に行ったついでに、近代文学館(同じ建物の一階です)を覗く。上記の催しの最中で、六曲一双の屏風が二双出品されておりこれが出色・・・明治初頭の城下が戦禍に会う前の「熊本城下明治絵図」と、花畑邸などが取り除かれ錬兵場がもうけられた図である。新旧対比が出来興味深い。またいろいろ貴重な展示は、文学館ならではの内容ですばらしい。ご一見をお薦めする。
熊本城内旧細川刑部邸で「細川流盆石展」が開かれている。日ごろあまりお目にかかれるものではないので、拝見しようと思っている。
旧刑部邸 http://www.kumamotonet.jp/siro/hosokawa/index.htm
細川流盆石 http://www.bonseki.gr.jp/
You Tube http://www.youtube.com/watch?v=iWmzHVJG4FY
くまにちコム http://kumanichi.com/rural/rekijyo/20111007001.php
熊本城周辺は秋のお祭真っ最中です。
熊本県立美術館「細川コレクション永青文庫展示室」では、『参勤交代-大名たちの大移動』が開催中です。
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event/kikaku/20111004-1218_sankinkotai/index.html
細川家史料によると幽齋公に「佐々木越中守室」とのみ記されている姉がある。舟橋家記には登場しないところを見ると妾腹かもしれない。このことを補強する史料に、家老・米田家の重臣・中山宗俊が書き記した「中山宗俊覚書」がある。よく綿考輯録などにも引用される貴重な史料だが、この覚書に「越中守室壽光院」とあり次のように記されている。
一 幽齋様實ハ 公方義晴公の御子也此段舟橋家に詳也以前ハ
船橋家を高倉と申候此時より舟橋に改りて今船橋と申候其
比船橋環翠軒宗尤実名宣賢公と申候宣賢公息女後
号智慶院殿 公方義晴公の宿直等被成懐妊なり然処に
後奈良院より近衛尚通公の女を義昭公に被聘之不能辞叓
して懐妊智慶院殿を三渕伊賀守晴員後妻に被下候也
晴員居宅は室町花の御御所近隣といへとも本宅へハ不入置は懐
婦を東山の麓黒崎の別墅 藤孝公栄産の地之其後若狭少将木下勝俊入道長嘯遁世の地と成暫蟄居之由 其後
聴松院と云寺に成南禅寺塔中に今存せり幽齋様ハ義輝公ハ二歳の御兄なり に被移置て晴員無逢見栄産
あつて暫して被嫁なり世挙て晴員の貞心を令感
心となり藤孝公五歳の時初て義晴公御對面其後
公方御所并船橋家にて御養育と云御成長に随て
船橋家にて御勧学なり米田壱岐守求政ハ船橋家縁
属の盟有にて藤孝公と学友之求政藤孝公にハ九ッにて
公方御膳番たると也又天文十九年藤孝公十七歳の御歳
公方義晴公薨し賜ひ夫より 公方義輝公へ御近臣也船
橋宣賢公其男業賢公其男枝賢公其男秀賢公の室者
佐々木越中守娘なり越中守室壽光院殿と申ハ藤孝公の姉
君也佐々木没落の後ハ丹後國へ御呼下し御養置候則息女
を三齋様御猶子に被成右秀賢公へ被嫁に付秀賢公ハ
三齋様御婿の御盟なり秀賢公の男秀相公の室寂照
院殿と申ハ吉田の神主三位兼治卿の娘なり寂照院殿御
母堂は幽齋様の御息女にて丹後屋形一色五郎義有
後左兵衛尉と云へりの御後室浄勝院殿也
幽齋は、姉(壽光院)婿・佐々木越中守没落後、其の娘を養育し息忠興の猶子として清原秀賢に嫁がせたという訳である。
略系図化すると次のようになる。 (晴広カ)
● 元・細川刑部大輔室
∥
清原宣賢--+--業賢---枝賢--+--(国賢)---秀賢
| | ∥
| +--寿光院 ∥
| ∥
+--智慶院--+--幽齋---忠興=====●
∥ | ↑
細川晴員 +--壽光院 |
∥------------●
佐々木越中守
「米田家臣中山宗俊覚書」より作成 責・津々堂
■■表示は小川剛氏の系図より引用
一方小川剛氏は「細川幽齋-人と時代」(細川幽齋 戦塵の中の学芸所収)p005~006において、「生母の系譜」という項をたてる中で寿光院に言及している。先にご紹介した「藤孝事記」を引用され、三淵藤英ら兄姉の生母は幽齋の母・智慶院の妹(養源院)だとする。そのことを証明するのは、「清原枝賢女で六角義賢(承禎)の室となった寿光院の証言である」とされる。寿光院と幽齋は兄弟のように育てられたという。一方壽光院はまさしく実姉なのだが・・・・・・・・・・
六角義禎について私は知識を持たないが、サイト「公卿類別譜-公家の歴史」で舟橋(清原)家を見ると、たしかに枝賢女に六角義禎室とある。
http://www.geocities.jp/okugesan_com/funabashi.htm
もっと詳しい資料はないのか、頭の痛いことではある。
幽齋の近くに在る寿光院・壽光院という二人の女性の存在をすっきり解明したいところだ。
俳家奇人談・続俳家奇人談 (岩波文庫) | |
岩波書店 |
最近買うといえば、俳句に関するものばかりです~。これ面白そうですから~~
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『俳家奇人談』正続二篇(一八一六,三二年刊)には室町期から江戸中期まで,連歌師をまじえて一五二人にのぼる俳人のエピソードが集められている.これら「奇人」たちの興味深い物語を読み代表句を味わうことは,すなわち近世俳諧の歴史をたどることでもある.本書を飾る薫斎の挿絵,蕪村描く蕉門十哲の画像などもまた楽しい.