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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■奉公人出替り

2014-02-02 10:38:18 | 歴史

先に「奉公人について口上書」を書いたが、二月二日は奉公人(男子)の出替りの日である。(女子は三月十日)
歳序雑話は次のように記している。

                    二日定為従僕交代之期、兼為約束、有留有出、或以墨染鬢髪、
                    或以粉粧顔色、依容皃(貌)之美悪、求俸禄有差、以之男服紺衣、女
                    翻紅裏、或褰裳振椀、或広帯細腰、皆是求値之多也、可笑

                    二日定て僕従の交代の期となす、兼て約束をなす、留むる有り出だす有り、或いは墨を以て鬢髪を染め、
                          或いは粉を以て容皃貌之美悪に依て顔色を粧う、俸禄を求むるに差有り、之を以て男は紺衣を服し、
                          女は紅裏を翻す、或いは裳をかかげ椀を振い、或いは帯を広め腰を細うし、皆是値の多を求むる。笑うべし。 

先の口上書に於いては、女子は三月三日としているが、歳序雑話が書かれた天和三年頃には男女共に二月二日に成っているように伺える。
二月朔日は初市がたつ。そんな賑わいの中に給金を頂戴して、自らの物を買ったりする有様が伺える。
旧暦の二月二日は新暦では三月であり、暖かさも増して新壱丁目の初市は大賑わいしたのであろう。 

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■手討達之扣・目次

2014-02-02 07:58:02 | 史料

          ・宝暦六年閏六月廿二日            星野庄右衛門手討
          ・宝暦十一年三月廿九日            米田太次郎手討
          ・宝暦十二年七月十二日            鎌田小平太手討 十三才
          ・明和元年十月四日                永井弥五郎妻手討
          ・明和三年二月十日                米良左源太手討          
          ・明和六年七月十二日              久武権之助・仝金吾手討 宜敷トテ御褒詞      
          ・安永三年八月四日                 佐藤右衛門八手討
          ・安永三年八月廿二日               荒瀬忠次手討
          ・安永三年十一月廿日              永井七十郎手討不首尾 扶持方召上ケラル
          ・安永四年七月四日                 伴儀兵衛手討仕損シ 差扣
          ・安永四年十二月                 狩野平太夫・西村角右衛門・木村武右衛門逼塞 (伴儀兵衛の事件に関連)
          ・安永七年十二月                 奥村八内手討
          ・安永八年正月廿五日              松本傳蔵手討
          ・安永九年四月廿三日              郡 仙蔵手討
          ・安永九年九月十七日              可児才右衛門妻手討
          ・天明七年三月四日                右田蓮水手討
          ・天明七年五月廿八日              鎌田小平太手討
          ・寛政四年六月三日                安藤十郎右衛門手討
          ・寛政三年十一月十二日            三苫英助手討
          ・寛政四年■月九日                不破素太郎家来手討
          ・寛政五年十一月八日              伊藤権七、太田要蔵手討
          ・寛政五年十月廿七日              宇田安左衛門、栗原傳蔵手討
          ・寛政五年七月廿一日              緒方定八郎、松本信平手討不首尾
                此条最長シ
          ・寛政七年二月十一日              林 弾八手討
          ・寛政七年五月十二日              久永小右衛門下女手討
          ・寛政九年二月■日                 須佐美伴太夫妻ヲ手討
          ・寛政九年四月十日                上月 謙、坊主知海手討
          ・寛政十一年二月八日                門池弥五右衛門、大園村尉助手討   
          ・寛政十二年九月七日                原田次郎助、多田村喜太郎手討不首尾   
          ・寛政十戊年七月四日                岡 小平太、高森村文七手討
          ・寛政十二年二月十四日              蓑田乙次、勝木瀬助手討不首尾     
                此条最長シ
          ・文化八年閏二月廿四日              松岡文太夫母下女手討
          ・文化七年二月十日                  清原寿吉郎、貴田小十郎手討不覚
          ・文化二年六月十八日               吉田卯三郎手討
          ・文化三年二月朔日                  宗本文平下女手討
          ・文化二年六月■日                  神邊岩男手討仕損御知行被召上
          ・文化三年三月七日                  高田傳右衛門狂乱御知行被召上
          ・文化三年十一月廿一日              相良又左衛門家来手討
          ・文化九年正月廿五日                山崎勇次郎狂乱
          ・文化九年七月廿日                 木庭勝次負傷
          ・文化九年七月十三日                枩田文左衛門家来手討
          ・文化十一年八月五日                山東弥源太盗賊手討
          ・文化十二年正月七日                駒井軍馬、絵師林文吾手討
          ・文化十二年三月十一日              河井三郎右衛門、薮田岩次決闘
                   以上
      一本以下追加アリ
          ・文化十二年三月廿九(ママ)           横田一二三組縄田次郎兵衛弟手討
          ・文化十二年七月五日                永田蔵次手討
          ・文政二年十月                   杉浦三郎
          ・文政四年二月                   平野大助自殺
          ・文政四年五月廿二日               菅 庄司、妻を刺殺
          ・文政四年五月                   宮部新太手討
          ・文化五年五月廿七日               続五郎右衛門喧嘩
      以下紙切レ・・年代不明                    近藤淳三郎
                                      椋梨半兵衛
                                      ■木勘右衛門
                                      山三郎
                  以上      


               (尚 印あるものは、風説秘録に記事有)    

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