詳しくはこちらをご覧ください。 細川家・黒田家の不仲 細川家・黒田家の不仲(2)
細川家家臣にまったく出自が異なる二流の牧氏がある。こちらは牧市右衛門を祖とする牧家の話である。
下の記事は手討達之扣にあるものだが、目次には「安永三年八月廿二日・荒瀬忠治手討」とあるが、これは牧忠次のことである。(荒瀬家から牧家に入った)
忠次の娘・か免が病乱にて忠次の実兄・荒瀬秋蛍の妻に切りかかったため、忠次がこれを手討ちにしたという不幸な事件である。
八月
西山大衛組牧忠治儀宇土郡浦手永里浦村え在宅仕居候、荒瀬文次郎隠居荒瀬秋蛍儀も右忠次近所ニ在宅仕居申候、
秋蛍儀は忠次実兄ニ而御座候、秋蛍妻ハ文次郎方へ幼年之孫共居申候ニ付一所に罷在、折々秋蛍方へ罷越申候事ニ
御座候、然処當月十九日秋蛍妻在宅所え参居候、去ル廿二日忠次宅え罷越彼方ゟ帰候節、屋敷内ニ而嫡女か免後ゟ
切懸申候、既ニ切害仕候と相見候ニ付、忠次儀娘ヲ早速打放申候、左候而秋蛍妻は郡浦村え居申■醫師江口玄球、松
倉村え居申候江本多仲右両人を呼療治仕せ手疵之様子吟味仕候得 は、長サ五寸深サ六分程之儀ニ而、命分ニ懸り申
候程之儀ニ無御座候、追々快方ニ相成申候由ニ御座候、右か免當年廿七歳罷成申候、秋蛍妻ニ對し何ぞ意趣ケ間敷儀
無御座候、右之通儀ニ御座候得共病乱之様子ニ相見申候由、忠次親類中ゟ申聞候段、牧才次郎ゟ相達候ニ付、■昨日
御奉行所え持参相達置申候事
養子・荒瀬氏
・市右衛門--八郎右衛門--作太夫--七右衛門--八郎右衛門--忠次--兵九郎(九郎太夫・九郎左衛門)--一郎右衛門--禮助--仙次郎--市之助(市太) 貮百五十石
・市右衛門--八郎右衛門--平助--市九郎--八太夫--八右衛門--源太郎--小源太(市右衛門・伴鴎) 百石