津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松寿庵先生 第88講

2014-02-20 13:29:03 | 史料

                                          ■ 清源院様湯治の旅 

                                          ■ 寛永三年湯治の旅

                                          ■ 松井岩千代 

                                          ■ 一行の記事から・・・半井氏

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■長崎仁助(一見)の一件 ・2

2014-02-20 07:21:10 | 熊本

一、霜月十五日は、髪置紐解と穪し子女三歳四歳となれば、各家競て之を祝す、唐人町某家此祝日に當り、袈裟珠數を包みし風呂敷を拾ふ、不吉の品と
  て一家面色なし、仁助偶々同家に來り、此は決して不吉にあらず、下拙一首を詠むべしとて、左の狂歌を與へしとなん
            けさ(今朝・袈裟)拾ふころ(比)も霜月十五日 
                 此子(衣)の壽命珠數の子の數 
  仁助又一日川尻に遊び左の一首あり
            川尻にへ(舳・屁)さきそろへて出る船を
                 か(數・嗅)そへて見ればくそう(九艘・臭)こそあれ

一、或年の正月元旦、小笠原家の松飾に轉癇(テンカン)人倒れかゝり、口頭泡を吹て苦悶の状見るに堪ず、主公不吉として慍色あり、長崎仁助参向して曰、
  是目出度事なりと即吟して曰、
            門松にあわふく(吹・福)の神來かゝりて
                 辨財てんかん毘沙門てんから
            一云、門松に七福神がよりかゝりあはふく神辨財てんかん 

   主公之を賞して毎歳米二俵を賜ふ、後節倹と穪して一俵を減ず、仁助又一句を呈す
            大黒の片足寒し年の暮れ
  主公其頓智妙才に感じ再び二俵を賜ふと云

一、長崎仁助夜會より歸り懸に
            灯ちんを枕にしたる供の者
                 かへると云へば珍重と云ふ
  二月十五日、仁助泰勝寺へ参りて
            釈迦の別れ涙の雨のふるならば
                  目連   阿難   加葉
                 眼もくれんあなんとかせう                  

  或大家の料理人源助と云者、額を高くぬき上て、至てそり下げなれば
            源助が前に鳥居を押立て後に髪が少しまします
  源助をかしく思ひ、腹も立返報せんと
            毎つ見ても色も変はらぬ此はをり
  と云ければ、一見直に
            貴様の袴幾代經ぬらん      狂歌集右平八・清兵衛・源助の事相似たり、誤り傳へたる者か 

一、長崎仁助古着屋にて鳶色の布子買ければ、亭主是は各別の安直なれば、酒を御買候へと興じければ、即座に
            鳶色の布子をわしにつかませて
                 慾の熊鷹又酒と云ふ
  又同人歌に
            世はすめりたゞ我獨にごり酒
                 のんで寝るにてさすらふの水

一、一見立町を通る時、知る人の妻黄昏忙しき様子にて、出つ入つするを何事やらんと問ければ、亭主の子供を連て、龍山に椎拾ひに行きて歸遅く、待兼
  て、少し腹立居る様子なれば一見
            龍田山椎の少々ありつらん
                 内にはこまちくるひこそする
  初午
            御稲荷に焼かん肴を供れば
                 初午いとてよつてくわん/\
  職人町通る時
            塗り置きし鞘のこじりの干るやらん
                 職人町は屁くさりけん
  落鮎
            身から出てさび鮎ながら河下に
                 落て懸るはあらかあゆやな
  中尾の櫻
            あの牛の尾山の櫻咲にけり
                 もふ角樽の口開かなむ 

   仁助の向に傘張あり、六郎左衛門と云者傘誂置て數日出来ず、腹立口論に及び傘やこぶしにて六郎が頭を打ち、双方立合し中に入りて、
            ろくろざがあたまをはるは傘や
                 雨の下なるをごりものかな

  妙楽寺薬師堂大破にて行基の作の薬師抔開帳し、瓦奉加の勸化を乞しかど、施主少も無りけれは、
            物取に世話をやくしの開帳し
                 瓦奉加のぎょうぎのわるさよ

  仁助京町邊に行けるに、途中より殊の外空腹にて、急ぎ歸りて飯を給はんとしけるに、冷飯もなし、頭痛して目まはす如くありければ
            ひだるさにめつたむしょうに頭痛して
                 人もはやさぬ目こそまふなり

  或方に両三輩夜咄に行けるに、太皷めしつきに菜飯を入て、田楽を添て何れも數度に及ぶ、飯つきをつき替て出る時に、仁助云
            打出す太皷飯つきなめしかば
                 扨もなりますでゞんでんがく

  或方に黒ごまを茶菓子にかけて出しかば
            黒ごまをかけて出せる菓子なれば
                 喰ふ人毎にあらむまと云ふ

  坐頭公事をして、八代の坐頭搦め捕らるれば
            熊本の黒白坐頭くじをして
                 郡さとうも迷惑ぞする

  有生非生を知らぬ世の中と云句に
            半分は鰻になりし山の芋

  或寺の住職を打、弟子共打返しせんと云を
            打つ人も打たるゝ人も諸共に
                 同じ此世の土とこそなれ

  仁助すみらほりに出浮しに、早く一首と云聲あり、見れば知る人なり、直に
            此比はすみら小女郎と戀すれば
                 ほるゝ日もありほれぬ日もあり

                   

                      (了) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする