津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■初市

2014-02-01 10:02:34 | 徒然

 昔二月朔日は初市が賑わったらしい。「歳序雑話」を見ると次のようにある。

                   二月朔、以此日号初市矣、市鄽 (ミセ)之交易驚耳目、諸国七道之所産、悉持来而莫不売買也、諺曰、当市風者以無疫難矣、
                   以是府中郊外之幼童、莫不至也、雑遝(トウ)宛如織矣、市中無尺寸之明地矣、有往有帰、有首指作花矣、有手持吹矢矣、肩
                   蜻蜓(トンボ)網、被鬼面引雉車、求打駒(独楽)買造馬矣、錐根・長刀・張鼓・太鼓・鞨鼓・毬打・玉手毬・竹駒・皿駒等、随意求
                   之、費金銀不可勝計也、女子者求張箱、犬張箱以下雛之具等、又見物之老若、有被頭巾、傾編笠、曳手携杖徒行者、又有
                   為父母求几杖、為子姪求書筆者、又有求博奕之采(サイコロ)買淫泆之書、寔(マコトニ)其求異哉矣、蜀江之錦、呉郡之綾、至此
                   莫不得求焉、寛仁豊饒之所至乎

一方、番太日記(一名髭爺日記)には、新壱丁目初市之事として次のようにある。

                   前かとは伊藤屋表より飛人形・あやをうる。とふわ/\とゆふてうるなり。あやは一結四五文、飛人形は九文・拾文也。又それ
                   より先はかざりむま・いろ紙・唐紙にてかさり見事也。みな引馬也、拾四五間見せ(店)あり。五分位より三匁四五分迄段々にあ
                   り。むかへがわは人形ひいな(雛)見せ。京見せとてかみさし・はな紙入等小間物色々あり。吉文字屋表はみな茶店多く、みな
                   市茶とうふてかうなり。又内より袋持参者も多し。又花いろ/\菊・かきつばた・梅・桜・石竹花。其むかへたばこ見せなり。新田
                   たばこ・じや香たばこ・松尾・白石とていろいろあり。是も五六間見せあり。其時分のきくの花は寺(原-脱字)町に上手あり。迎
                   大工町にもあり。其時分の人形ははりぬきにて極々わろし。獅子がく(顎)にても極々ふできなり。今は下り人形よりもよろし。
                   此外は今にかわる事なし。池上せんだんきじも同じ。此時分とひ人形・あや、竹村より惣八とゆふ者、むすこにあやをとらせくる。
                   此むすこ、きりやうよく能わかし(若衆)なり。あやとる事極々名人なり。親父三味せん引うたふなり。
                                          (歌の歌詞が書かれているが略す)

このように初市は、侍・町人分け隔てなく春の到来と共に待ち望まれたものであった。その賑わいぶりが目に浮かぶ。 

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■手討達之扣・緒言

2014-02-01 08:13:09 | 史料

 上妻文庫に「手討達之扣」というものが残されている。宝暦六年(1756)から文政六年(1823)の67年の間の約50余件が記されている。
これらを読むと武士の特権とされる手討(切捨て御免)という行為を通じて、「武士の面目」が如何なるものであったのかを考えさせられる。

今回はその緒言をご紹介し、次回以降50余件のリストをご紹介しようと思う。

一本ノ緒言
     手討諸達集録 内ニハ手討達扣トアリ
    此壹冊ハ何某御番方組脇相勤候節役中之手扣より書抜所持有しを乞請て写之而巳
    夫武士之朋輩打果下人を討捨候事ハ不珍事ニて当前之儀なり、是恥辱を受何分難差忍邊其侭に穏便ニいたし
    置かたけれハ不得止事と云へし、しかし此冊之内伴儀兵衛・緒方定八郎・原田次郎助類ニ■而は 上より御察問ニお
    よひ終ニ其答潔白ならすして御知行被召上或ハ士席を放たれ恥を■くにあらすして我身に恥を扣と謂つへし、平
    息に主として守か処の物あらハ此類に至る儀し(?)慎へき事事(?)ならん、永子孫甥いまた幼稚若童なり、是等の事を
    常に聞て心の守を放失して其身ならん、父祖親戚に恥を与ふる事なからん事を願ふ
                                                     七十翁許巳丑乃美写之 

 

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