津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む・講談社文庫「花鳥の乱」

2014-02-08 11:21:24 | 書籍・読書
花鳥の乱―利休の七哲 (講談社文庫)
            
講談社

内容(「BOOK」データベースより)
戦国時代、千利休の門下には、さまざまな逸材が雲の如く集まった。信長に弓ひいた荒木村重やキリシタン信仰に殉じた高山右近、師をも凌ぐ美意識の持ち主、古田織部ら七人の弟子は、いったい何を求めたのか?茶の湯に人生の真実を賭け、反逆の熱き心を燃えたたせた武将たちが織りなした、乱世の人間曼荼羅。

 
 
実は大分以前、左方郁子著「利休七哲/細川三斎:休無・細川忠隆の遺書」(1990年、黒部亨編集 講談社)を図書館で発見して早速借りた。
他にも以下のような短編があって面白く読んだ。

                            古田織部・落梅記    黒部亨
                            瀬田掃部・仲冬の月   澤田ふじ子
                            蒲生氏郷・数寄者大名  邦光史郎
                            芝山監物・こぼれ咲き  百瀬明治
                            高山右近、牧村兵部 余情残心 加来耕三
                            荒木村重・道糞流伝   神坂次郎    など 
 
併せて読み比べると面白かろうと思っている。
 
 
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■幽齋五男・細川蓮丸像

2014-02-08 07:29:33 | オークション

                 

                           凄いものが出ましたが??  【伝来】Fk4056K8tr 細川蓮丸像模写 幽斎五男 重要文化財 

                 原画は京都南禅寺塔頭・聴松院の所蔵するところの重要文化財である。  
                 蓮丸は細川幽齋の五男、綿考輯録では「天正十五年七月十七日 蓮丸主御早世、賢勝院梅林宗香童子」とあり、細川家系図では
                  
「誕生年月不分明 天正十五年七月十七日夭」とある。

                 この模写像の讃からすると十二歳で亡くなったとしているから、生年は天正四年という事に成る。
                 そうすると孝之(天正十二年生)や、千(天正七年生)の兄ということになるし、幸隆(元亀二年生)の五つ下の弟ということになり
                 下記のように言われてきた細川家譜に辻褄が合わなくなって来る。関係者・識者の見解を伺いたいものだ。

                                       忠興  永禄六年(1563)十一月十三日生
                                       興元  永禄九年(1566)
                                       伊也  永禄十一年(1568)
                                       幸隆  元亀二年(1571)
                                       加賀   不明
                                       千    天正七年(1589)
                                       栗     不明
                                       菊童  天正九年(1581)十二月一日生  像が残されているが細川家図には登場しない
                                       考之  天正十二年(1584)
                                       蓮丸  天正十五年(1587)生まれで夭死したともあるが・・・・
                                       仁伊   不明

                         

                 

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