魚住家系・續家之系の系図を見ていたら谷忠兵衛の名前があることに気づいた。
續安藝守---亀介---+--少助・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→少助家
|
+--次太夫---+--●尾崎久右衛門・妻 (不明)
| |
| +--●續助左衛門・妻 (不明)
| |
| +--●興津弥太夫・妻 弥太夫家は男子なく絶家、女子三人は彦大夫が養育、佐方平左衛門妻・志方弥次兵衛妻・魚住又助妻
| |
| +--●小嶋伊左衛門・妻---------------------→小嶋健太家
| |
| +--●沢 ■右衛門・妻-----------------------→沢 弥門家
| |
| +--續 彦太夫---亀右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・→毎家
| |
| +--●津田平之允・妻-----------------------→津田政之允家
| |
| +--●神足又兵衛・室-----------------------→神足少五郎家
| |
| +--谷 忠兵衛
|
+--庄右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→才七郎家
|
+--園右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ 三郎家
谷忠兵衛については「新・肥後細川藩侍帳」では次のように紹介してきたが、續次太夫小の子であればまったく辻褄が合わない。
新しい発見は、又頭を悩ます結果となった。次太夫が養子にしたという事だろうか。貞享二年には乱心によって処分されている。
七郎右衛門(御中小姓・三百石)弟
谷 忠兵衛 (1) 御鉄炮二十挺頭 「源」 八百石 (於豊前小倉御侍帳)
(2)御鉄炮頭衆 八百石 (肥後御入国宿割帳)
(3)御鉄炮頭衆 千百石 (真源院様御代御侍名附)
(4)千百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
(5)貞享二年七月二十七日 壱千壱百石 乱心 (※)
父堀右近は越後春日山城主堀忠俊に仕う。ちち歿後、兄七郎右衛門と共に母の弟谷衝友に養はれ、
谷姓を稱す。豊前に於て三齋に召出され、知行五百石。元和九年頃鉄炮頭。のち加増して千百石。