随分以前 百間石垣うしろ跳び を書いた。これは山東弥源太幼かりし頃の話だと思われるが、今回の話は文化十一年八月初めのころの話である。
山王神社近くの井芹川で川漁の最中、河に入る為に抜いた大小のうち脇差を盗まれたという事件が発生、目星をつけた人物に振り回されながら二日がかりで解決、この犯人を討捨てたという事件である。
ちょうど上熊本駅の裏手あたりになるが、後に大改修が行われ流路は大きく変わることになるが、この山王(井芹日枝)神社あたりは昔の面影が残っている。
まだ花園に住んでいたころ、ここは子供たちが釣などを楽しんだ場所である。なつかしく又この文書に遭遇して事件を知り驚いている。
文化十一年大木弥助組
口上之覚 京町壱丁目
文左衛門
右は私名跡相続之二男山東弥源太江對し難差通不届之儀有之候間今日弥源太討捨申候
此段御達仕候以上
八月五日 山本彦右衛門
口上之覚
私名跡相続之二男山東弥源太儀、昨八日八ツ過頃より井芹川筋桶漬漁をして罷越申候ニ付、大木弥助足
軽相沢又三郎三男次吉と申者を雇漁具等為持、井芹山王宮下ニ而右漁仕候ニ付、衣服は揃大小を抜河
塘ニ差置右次吉江番申付、弥源太儀は川中江参申候處雨降出申候ニ付、桶を漬申間も無之、直ニ川塘江引
返申候処、右次吉閣候ケ所ニ少シモ相はなれ申候釣仕居候、弥源太儀は降出申候ニ付用意仕候油紙を以大小
衣服等を覆申候所存之處、脇差無之刀并衣服迄有之候ニ付右次助江相尋申候処一向存不申候由返答
仕候依之相警近邊ニ別人これなく何者耶(ヤ・カ)一人川下モ五拾間計之同塘筋江参り裸ニ而釣
致居申候、此者怪敷相見候付此者後ロ江弥源太儀暫ク立寄見申候処、右之者儀側江有之候肌着を打振
ひ直ニ肩ニ懸申候躰益怪敷相見え申候ニ付、脇差之儀相尋申候處、裸ニ居申候事故盗申候迚も何方え隠シ可申候や
打笑ひ返答仕候へども暫時之間ニ外ニ盗可申者も無之、此者甚怪敷相見申候ニ付先此者取迯申間敷存最
初大小等閣候ケ所え此者を召連参り猶吟味仕候得共弥無之其時分は■漁ニはいり候、幼年之面々相集
右之者を指さし此者兼而盗いたし候者ニ付、盗取候ニ而可有之申候ニ付弥不審ニ取迯シ不申候様心を用居先右侭
ニ而は相済不申候ニ付前後次吉を差遣取ニ差越候ニ付、早速■を差越候間右之者を召連レ七ツ前罷帰直ニ
精ニ詰問仕候得共言初は白状不仕候、頻ニ吟味仕候処夜五ツ時比ニ相成、定而彼ノ邊え可有之今晩夜中ニかゝり
候へども吟味仕出上ヶ可申段申出候ニ付、直ニ右之者を弥源太儀召連、山王宮近邊え参り申候処釣仕候方角
くね藪有之候処を指さし、此四五間之間ニ可有之申候ニ付五ツ比ゟ九ツ比迄精々吟味仕候得共一向吟味仕出
不申候ニ付、先昨夜は連帰り申候、然處今朝ニ至り自身盗取候而くね藪ニ隠置候由白状仕候ニ付猶召連
罷越、右脇差吟味仕出持帰申候、昨日之儀今朝ニ至り相分不届之次第ニ付不得止事討捨申候ニ付子細
御達仕候以上
八月 山本彦左衛門