津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■横恋慕の果て・・?

2014-02-18 16:18:15 | 史料

■寛政五年十月廿七日 宇田安左衛門 栗原傳蔵(実ハ三男・左九郎)打取 
   (上記目次の表題に於いては十月廿八日とあるが、文の内容などからすると十月七日が本当であろう  記・津々堂) 
 最近よく見受けられるストーカー事件のようなものだろうか? 家に押しかけ、話に乗らぬなら親もろともに殺すと脅かして切りかかり、却って討取られたという一件である。 

有吉萬之助組

 私妹儀昨廿七日夜山本郡味取町江居住仕候都筑次左衛門觸組栗原傳蔵三男栗原左九郎
 儀難差通筋有之候ニ付私隠居在宅におゐて打果申候此段被成御達可被下候以上
       十月八日                   宇田安左衛門
          沼田貞右衛門殿
          堀田文右衛門殿

 

          御内意之覚
 私妹儀栗原傳蔵忰栗原左九郎打果申候始末は一昨六日隠宅え客来有之妹之部屋ニ居
 申候処右左九郎儀屋敷内え忍入窓ゟ不義之節を色々申聞候ニ付甚呵申候へとも女ニ侮申候哉
 立除不申弥申懸候間打果呉可申旨申候得共退不申近所より雇置申女左九郎儀は酔躰之様子
 ニも有之候間此節は差許申候様相断立帰申候様取計申候ニ付先其侭ニいたし置隠宅えも
 不申聞一應は差許申候 然處翌七日之夜妹儀は雪隠ニ参窓ゟ見申候処人影見へ申候間萬一盗賊
 躰ニ而も有之間敷哉と座敷方え廻り何者ニ而候哉と相咎申候處我等ニ而候と申昨夕之儀不承知候ハゝ
 此節は隠居共ニ打果申候と申ニ付不届之儀難差通刀を取ニ走申候処後ゟ切懸申候間
 其刀ニ取付もき取打果申候 然は其者之刀ニ而留を刺申候も如何と存声を立テ弟良八
 え隠居差料を持参候様申候へ共右之差料見へ不申其内隠居参則留占メをも刺遣申候 尤
 右左九郎ゟ切懸申候刀は其以前ニ忍入取申候と相見隠居差料之刀ニ而御座候右之通御座候以上
       十月八日                   宇田安右(ママ・左)衛門 

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■六石

2014-02-18 09:01:36 | 歴史

 細川家に於いては、東京の妙解院のことを六石(りっせき)と呼んでおられる。沢庵宗彭を開山として三代将軍・家光によって創建された、万松山東海禅寺の広大な寺域は明治四年廃寺となったが、細川宗家・細川新田藩の墓地としてこの六石は細川家の所有するところと成り現在に至っている。現東海寺は六石のとなり、旧玄性院の在ったところにある。宇土支藩の清光院も目黒川をはさみ要津橋を渡ったところにある。細川家一族の江戸における菩提寺がここに集まっていた。ここに残る大名家のお墓の集積は、貴重な歴史的遺産でもあるとされる。

                            六石(妙解院) 寛永20(1643)年建立 開基・細川光尚
                            清光院      慶安3(1650)年建立   開基・細川行孝実母
                            少林院      元禄3(1690)年建立   開祖・細川綱利

六石は現品川消防署の真向かい、品川保健所の右隣の位置に当たる。喧騒の街中に異次元の時空間がここに存在している。 

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