津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■資料所在「忠興公御以来御三代殉死之面々」

2014-06-06 15:42:35 | 史料

鴎外文庫が所蔵する「忠興公御以来御三代殉死之面々」である。
奥書に「忠興公御以来御三代殉死之面々長伝略/阿部茶事談共二巻/北岡御邸御文庫中之御本也邸外他方持出難成規定也下宿迄持下願滞態二日三夜燈下写取処拙筆老眼誤字落字可推続也/大正元壬子年十二月中旬七十六翁/興純識」とされるが、興純とは加賀山氏の事であろう。
加賀山氏から鴎外の手に渡ったものと思われる。 

興津又二郎覺書寫  興津家由緒書 など、小説「興津弥五右衛門の遺書」の資料と思われる蔵本が見られる。
又、小説「都甲太兵衛」の資料となった 都甲文書 もある 

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■阿部茶事談をとりあげる

2014-06-06 07:30:36 | 熊本史談会

 前回の史談会に於いて、今月六月の内容を一応お伝えしたのだ、内容がいささかマニアックでまた郷土色も無いので今回は急遽変更し、「阿部茶事談」をとりあげようと思っている。御存知の通り、森鴎外の「阿部一族」のベースになったものとされるが、今の言葉で言うならば「コピペ」がふんだんである。

「阿部茶事談」研究の第一人者である広島大学の藤本千鶴子教授は、熊本県立図書館本「阿部茶話談」を底本として、東北大学狩野文庫・熊本県立図書館上妻文庫・荒木精之氏蔵本、熊本大学依託細川家永青文庫本の「阿部茶事談」を校合して、「校本・阿部茶事談」を発表しておられる。

私も過日、県立図書館蔵の「阿部茶話談」を拝見したが、かなり痛みがみられ頁をめくるのが躊躇されるような状態であった。
今回史談会では上妻文庫本を資料に使いたいと思い全29頁をコピーした。(愛敬氏による附録があるがこれは別とする)
この茶事談の著者については、渡辺権太夫なる人物が著したものらしい。討入りの際の主人公共成っている栖本氏宅の向いに私宅があったらしく、竹内市兵衛は姉婿であり、高見氏は渡辺氏の母族と記している。竹内數馬のことは家傳としている。

「茶話談」「茶事談」と命名されたのは、栖本又七郎が言ったという「阿部兄弟こときの事ハ、茶子/\朝茶子ならんと笑われ 云云」に由来すると言われるが、これとて栖本氏の本意かどうかも分からず、鴎外の著により喧伝され迷惑な話であろう。
現在一生懸命読み下しをしているが、上妻本とその他の資料との間に随分と違いがある事がわかる。そして校合が完璧でないことも伺える。
一方永青文庫本に於いては藩主家の史料らしく、鷹が井戸に飛び込んだという逸話や、御犬牽の津崎五助の子孫の事などは記載されていないようで、いろいろ調整が為されていることが藤本教授の校本の頭注から知ることが出来る。底本として使われなかった理由がここに有る。

また、登場人物の来歴や事件後の経緯などを詳細に見ていくと、渡辺氏のいい加減な記述が非常に多いことに驚かされる。
これは鴎外がコピペする前に、大いなる作為をもって事実が捻じ曲げられていることが判る。

そんなこんなを考えると、史談会においても単純に「古文書を読む」という訳にも参らず、いろんな論考を読むとともに、内容を一つ一つを詳細にチェックして説明をするべきだあろうと考え、これは大事に成るぞといささか腰が引けてくる思いである。

(第三土曜日が定例だから21日開催なのだが、前回間違って14日だと申し上げていた。これに気づいて一週間勉強の時間が伸びてこれは大いに助かっている。) 

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