津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本城炎上・・吉田如雪の日記から

2014-06-25 16:12:18 | 人物

 吉田如雪正固遺構「西南の役見聞録」という著がある。曾孫・吉田純二遍とあるが、私の手元にあるのは数葉の抜刷ならぬ抜コピーである。
この日記は明治十丁丑年二月十日から始まっており、偶然にも熊本城炎上二日前の事である。

    熊本城砲台
一、埋御門 一、二ノ丸御屋敷 一、千葉城上中学校(此砲台最も力有り) 一、後で瀬戸坂上松枝亘屋敷 一、南大手上 (其の外数多有之と雖も悉見せず)
    賊軍砲台
一、鶴林(我宅向ふにて三度処替、複片山屋敷内) 一、四方池 一、花岡山(阿蘇殿松の上墓所) 一、長六橋際 (其の外数多有之と雖も悉見せず)

    二月十七日 晴
  鹿児島県下一般人気不穏銃刀を帯し所々に屯集して声高して云う「将に上京訴る事あり」と。其の仔細は鹿児島県下にて刺客二十七人を捕え得たり、
  足を糺問するに島津久光茲に当公且つ前参議西郷何某、篠原以下数人を殺し得るに至らば黄金何千円を与うべしとの三条実美公以下参議中連の
  書札を出したるより人心沸騰此の挙に及ぶ云う。餘波我県に連り廃刀廃禄を憤るの県士千名余相扇動し九州の騒動甚だし。今日新堀に掲示して云う。
  「鹿児島兵隊今日水俣に到着の報知あり、因て県官出張応接に及ぶ管(ママ)に付人々不驚様、若し応接不調の節は尚掲示す」と云う。今日より市中資
  財を運送し県下動揺たゞならず。

    二月十八日 晴
  今日も亦昨日の如く市中荷車人力車東西に馳せ老若乱を避くる者近在を望みて出づ。鹿児島の宿陣役今日川尻に至ると云う。

    二月十九日 晴
  朝飯後四時過京町浜田屋の湯に行く。然れども戸を閉して寂然たり。亭主言う「湯は有り入浴せよ」と、よって湯に浴す。亭主云う「火事あり急ぎ出て見
  よ」と、予裸体のまゝ三階に上り之を見るに辰巳の方向に当って黒煙天に沖す。亭主云う「山崎なるか」。予云う「然らず下ノ通丁方角なるべし」と。然れ
  とも寒風猛烈裸体に堪へず、又入浴す。既にして亭主大声にて予を呼んで云う「火事は御城」と、予狼狽楼に上って見ると雖も確定に見えず、依って出
  て加藤社に至る。城中東南の隅(本丸なり)より天守際にて火焔天を突く、今日西北の風烈しく飛火草葉丁水道丁辺に吹き落して所々に火を発す、其
  の勢い惨然として消防の人なく只火勢に任す。遂に九時頃より天守に火懸り八時に至り只天守台を見るのみ。加藤清正公造築以来連綿として西国の
  名城と称する城今日一炬の火を以て灰燼に属す。加藤社の神慮如何ぞや。本丸一宇も残さず、独り宇土櫓のみ祝融を兎る。
  今日鹿児島征討の勅旨鎮台に下る。

    二月廿日 晴
  今日家財を五丁川東村岩崎古平と西梶尾村不浄取・丈平竝に弁慶下熊屋敷に送る。尤も家内は奔走せず、要書宜しきに安んじ猶本宅に在り。
  今夕薩兵川尻に着く。

          以下続があるものと思われるが、抜コピーは残念ながらこれで切れている。
          大変貴重な記録であるが残念ながら熊本県立図書館も蔵していない(残念・・・・)
 

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■「旦夕覺書」 鳥--11

2014-06-25 13:22:55 | 人物

                 随分お休みをしていたが、再度「旦夕覺書」にチャレンジしようと思っている。2011-10-29 09:57:50 以来である。
      ある人曰く、近代デジタルライブラリーで見ることが出来るから、「御苦労なことは止めたら」と・・・・・
      もっともなご指摘とは思うが、文章をタイピングすることでその内容が理解できると言うメリットもあるし、皆様にも適当な長さの節を
      読みやすく提供し、お読みいただきたいと思うが故である。

 

(p175最末尾から~)

御先代に被召仕候子孫に七八百石被下 真源院様御代に其刻随一の奉公人と御聞及び江戸御供に被召連候折節御心安思召御大名衆御煩被成候由毎日代る/\御使者に被遣候 其者参候て歸候刻被召出御直に御聞被成候處に段々委細申上罷立候跡にて扨も/\気味能物にておもふ様に勤申候 熊本
にて何も譽年寄共も譽たるか道理也 去ながら一ツつかはれぬ事が有ると御意被成候由同名不白其時分御児小姓承申候 拙者に咄被申候嶋原にて能きと申にて無之内に末々にて沙汰仕候 夫を御聞被遊右の御意との不白咄被申候 尤昔は一度能候ても腕を合申とて二度能を用申事鷹も逸物と申すは一度にては用不申二度取申時逸物との名を付申由嶋原後御人數出候後なく候へば右の人一代主君に左様に思召候様なるは天罰と存候 御奉行も勤たる儀幼少に覺へ後には御番頭に成申候 唯今家絶申候へ共其縁者多く名は記不申候 惣別人の悪はかくし申道にて候へ共與風書つゞけ申候 當世御静謐にて人の
勇臆知れ兼申人々の不仕合又は仕合も可有之哉おかしく候 其家々にて諸人あれは用に立可申物と申は十人に九人は用に立申候 あれは何共合點ゆかぬ者と諸人申者は十人か十人無勇物と信玄記武功の侍とも批判仕候と見へ申候 左様に可有之事哉と存候はつれ/\にか有之哉筆を取れは物書れ楽きをとれは音をたてんと思ふとか覺申候 併若き内には必とうはきにて平生も力身男伊達成る仕形にて咄もうてたて好候事世の常にて候 次第/\夫もすくなくて時々のはやり事に心をうつし申事各御存知可有平生武士道を心がけ申はむねの内に有之事にて外にあらはしたかるは血氣の勇とやらん 大勇には及不申と申傳候 近くは木村長門守難波戦記にしるし置候 存生にては色々申候へとも死後に志顕れ信實に秀頼公を被存たる儀日本國中の侍は不及申 将軍国主/\迄御感じ被成と申傳候 下々末々迄勇は相應/\に有之候侍と生れ下々の勇を心にかけ可申様もなく候 軍書を見れば偽或はかりこと多く有之候間聖賢の書を見申様にと幼少より同名初として申聞候 いかにも尤成儀仁義禮智本にて何も真實に守る様に尤/\と書物見申ても一字にて其身に行申事學問の根元と貝原か書置申候尤と存候尤と存ましき様なく候 人間の根本に候 然とも今は成らぬ事夫は昔事などゝ皆々心得候得共人間に昔今とて替り不申候 しからは一事成とも何とそまね身の上に行度存筈に候 

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