津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本県立図書館蔵「拾玉雑録」リスト

2014-06-19 09:39:47 | 人物
熊本県立図書館の蔵書リストを眺めていたら、横田氏連成る人物が「拾玉雑録」なる書写文書を残していることを知った。
実は寺本直廉が「拾玉雑記」を著しているのだが、この所在を捜している内に偶然遭遇した。
上妻博之先生の「肥後文献解題」をみても出て来ないし、横田氏連とは先にご紹介した■横田吉左衛門・覚を著したその人である。
内容はまだ拝見していないが、他の資料と重複するものがかなり見受けられるが、貴重な史料であることは間違いない。
熊本県立図書館は7月から改装工事の為に長期の閉館になる。その前にちょっと眺めて置こうかと思っている。 
拾玉雑録・巻一 
   1 故諺記
   2 お志も覚書
   3 肥後天草城主名附同軍之覚 (著者未詳)
   4 智嚢 (作者不詳)
 
拾玉雑録・巻二
   1 黒船一巻 正保四年肥前長崎就黒船漂着続平右衛門覚書
   2 森岡貢物語 (著者未詳)
   3 御納戸日記 (著者未詳)
   4 牧 丞太夫覚書
   5 国朝旧章録抜書    
拾玉雑録・巻三
   1 国朝旧章録之内抜書
   2 故老雑話抜書 (編者未詳)
   3 忠興公東国御紀行
   4 朝鮮征伐人数附 (著者未詳)
   5 秀吉公御代細川越中守忠興骨折申所々之覚 (著者未詳)
   6 家康公御代忠興骨折被申候所々之覚 (著者未詳)
   7 細川越中守内沢村才八今八大学幼少之成立覚 (著者未詳)
   8 延宝九年九月十三日御巡見奥田八郎左衛門殿戸川杢之助殿柴田七郎左衛門殿当
   9 泰勝院様百五十年御忌御追善和歌 宝暦九己卯年八月二十日
拾玉雑録・巻四
     1 旧説記聞 (著者未詳)
     2 阿部茶事談
     3 有馬陣覚書 (著者未詳)
拾玉雑録・巻五
        1 太田道潅伝 (著者未詳)
     2 筑前国正助伝 (著者未詳)
     3 三刀谷監物伝 (著者未詳)
     4 大友家由緒 (著者未詳)
     5 嶋津家由緒 (著者未詳)
     6 東照宮御遺訓附録 (著者未詳) 
拾玉雑録・巻六
        1 南関紀聞
        2 中原雑記 (著者未詳)
拾玉雑録・巻七
        1 細川記 (著者未詳)
        2 古今雑聞書 (著者未詳)
拾玉雑録・巻八
        1 熊本より隣国への行程 (著者未詳)
        2 大嘗会覚書 (著者未詳)
        3 黒船漂着之節船数覚 (著者未詳)
        4 大阪夏陣御褒美之覚
        5 武具附之覚 (著者未詳)
        6 加藤家高麗陣備定
        7 有馬陣御行列
        8 御領内寺社数並寺社料之覚 (著者未詳)
        9 御郡高並手永附 (著者未詳)
       10 八代洪水御書附 (著者未詳)
       11 影板渡様之覚 (著者未詳)
       12 源氏八領御鎧縅毛之事 (著者未詳)
       13 従秀吉公清正候へ感状之覚
       14 魚住道庵覚書 
拾玉雑録・巻九
       1 本朝武家勲功記前編抜書 (著者未詳)
       2 長崎以来記 (著者未詳)
       3 北関始未記 (著者未詳) 
拾玉雑録・巻十
       1 深草元政之文
       2 沢庵和尚法語
       3 江戸大火之節文通 (著者未詳)
       4 時代狂歌 (著者未詳)
       5 楽迦記 (著者未詳)
       6 五穀大平記
拾玉雑録・巻十一
       1 幽斉公御狂歌
       2 達麿の賛
       3 幽斉公蝨御詠
       4 五十首狂歌 長崎一見 河喜多雑記之内
       5 詠百首狂歌
       6 狂歌五十人一首 (高朝親王等)
       7 狂歌五十人一百の外の狂歌 (伝教大師等)
       8 狂言詩語 (著者未詳)
       9 魚類三十六首歌仙
       10 花洛の部
       11 西肥之部 
拾玉雑録・巻十二
       1 武家深秘録 (著者未詳)
 
拾玉雑録・巻十三
       1 玉露餘滴 (著者未詳)
       2 浪花太平記 (著者未詳)
拾玉雑録・巻十四
       1 諸神書和歌秘伝 (著者未詳)
       2 徳川世祀 (著者未詳)
       3 御巡見様御国中御通筋里程附 (著者未詳)
       4 諸候伯御居城 (著者未詳) 
拾玉雑録・巻十五
       1 秀頼事記 (著者未詳)
       2 大阪聞書 (著者未詳)
拾玉雑録・巻十六
    1 樋口元賀狂歌追加
    2 阿蘇御田植祭礼田歌
    3 霊感院様御入国之節被仰出候御書附
    4 寛政七年江戸評定所出火之節之江戸より文通
    5 寛政帝綸言
    6 肥後孝子伝之儀二付薩州赤崎源助より高本慶蔵江噺伝之趣
    7 寛政帝御製 芦北御廻覧の節女嶋の宮で
    8 愛甲十右衛門追善の俳偕句
    9 男成の社司伊豫守が歌
    10 安永八年薩州桜嶋燃出候節外聞より之書付
    11 於ろしや国の人皇国へ来らん事を願ひけるに下し給わる一札
    12 和藤内唐土より援兵を乞に捧る書翰
    13 五拾人狂歌
    14 寛文七年正月十九日江戸詰之佐渡殿江之状並天野屋方より指越候覚書
    15 天野屋藤左衛門覚書
    16 堀平太左衛門殿江被仰出御書附
    17 肥後国水災
    18 文化二丑年十二月ヲロシヤ船壱艘寛政五年ニ給る処の信牌を所持し長崎ニ来る
    19 天正十八年二月秀吉公北条征伐の條
                                   (了)
 

 

 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■上妻本「阿部茶事談」 八

2014-06-19 07:13:48 | 史料

   ○栖本又七郎阿部弥五兵衛を討取同七之允鑓合働手負之事 付又七郎

    妻女仁愛有事

阿部か南隣は栖本又七郎屋敷にして、平日阿部とハ通家の好ミ深かりける、

又七郎性質元来潤恕として文武を嗜む者也、妻も貞潔にして仁

愛有ける人なれハ年の始より其ことふきの折からハ阿部か妻子に酒肴

贈り月の夕雪の朝には折ふれ交り遊山物もふてにも道を同く

して、情深く交らひけるがゆへ、阿部妻子幼き者共ハ又七郎夫婦の人をバ

叔姪のおもひをなし馴なしミけるか、阿部一家の者共刑人と成て後ハ 上を

憚り又七郎夫婦の人も心に隔ハなけれ共、心の外に疎々敷ぞなられける

又七郎元来情有る人也けれは、妻女に申さる様ハ此度阿部兄弟刑人と

なりぬる上ハ 上を憚り我等ハ忍ひても問ひかたし、妻子の事ハ強て

左而己(さのみ)御咎も有まし夜更け人静りてしのひやかに問給へ、彼等一家滅亡

近きにありと申されけるに又七郎妻女申さるゝには、彼等に常々馴なしミ

けるも今更よしなき事のミ思ひ替し申、女性幼きもの共の事いとあわれ

絶かたくてとひたく存しか共うえを憚り心の外に打過たり、女ハさのミ苦

しかかるなし、忍ひてひそかに幼き者共をは(い)とへと宣ふこそ嬉しけれとも

密かに問慰められしかハ阿部一家の女性幼き者共、其情け深き事を

かんし、世は春なから一家の者共御咎の身と成りぬれハ秋霜と剱の

下に消ぬとも、今更嘆てかへらぬ事也、唯亡き跡一遍の御手向も御

夫婦をのみ頼申由也けれは、いとあわれに思はれける、既に二月廿一日屋

敷責と聞へける時又七郎ハ此度討手の御内意や蒙られけん又ハよし 

御下知は背く共、隣家主君の咎を蒙りやしき責とて討手の面々              22

馳集るに、己か屋敷を堅め火災をのミ慎ミ安閑としてあらぬも勇士

の翻意に非す、何ぞ傍輩のよしみを以て主君に忠義なからんや後

に御咎はさもあらばあれ、年来手練の鑓の術此時なりと思いれけん

廿日夜更け人静まりて後ひそかに堺の垣縄の結目を切置て廿一日未

明に討手の面々阿部か屋敷ニ押入とひとしく件の垣を踏破りて大身の

槍を提て兼て屋敷の案内は知たり、何くに兄弟の者共有やらんと

尋ねしに、弥五兵衛家来を下知して臺所の前に有り、又七郎言葉

をかけいかに弥五兵衛兼々鑓の手練を心見たし、我等か手並を可見と有り

けれは、申にや及ぶと互に鑓組して一足も引なと恥しめて、勝負ニ及

けるか又七郎ハ鑓の術抜群なりしかハ、弥五兵衛胸板をしたゝかに突通せバ

弥五兵衛ハ鑓を捨て引退く、又七郎言葉をかけ臆病なり弥五兵衛

そこを引なと有けるに、遁るゝにあらす腹を切るなりといゝ捨て、内ニ入所ニ

弟七之允馳来り、又七郎ニ渡り合暫く鑓を合せ戦ひけるに、又七郎か高

股をしたゝかに突く、又七郎手負戦ならす、七之允ハ又七郎一人の敵にあら

ざれハ其所を立退きけるが、誰か為に討れけるか又ハ切腹をや仕たりけん、

一族一同に滅亡す、又七郎ハ深手なれハ働成りかたく鑓をはかなぐり捨

たれ共歩行叶かたく打臥たり、誰とハ知らす是を見て又七郎手負た

るや遖れ見事、早や引退れよと申けるに又七郎ハ是を聞てふ甲斐無

言葉かな、引程の足あれハ先に進むなりと申ける、勇気の逞しくぞ聞へける、譜代の

家来馳来り肩に懸けてぞ退きける、今日の討手の甲乙を高見権右衛門

言上せしにも栖本又七郎を第一の功とぞ申ける、依て早速又七郎組頭 

谷内蔵之允を上使として栖本又七郎宅に至り被 仰渡趣は今度阿部            23

権兵衛兄弟之儀ニ付働無比類之段、高見権右衛門申上委細被 聞召上御満

足に被 思召手疵随分養生可致之由也、其後又谷内蔵之允御花畑ニ

被 召出御意之趣ハ今度栖本又七郎阿部権兵衛兄弟共之儀被 仰付

候処精を出し首尾能仕廻骨折申候段、具ニ被 聞召上候 御直ニ右之段

可被遊 御意候得共御家老中先被 仰渡候旨米田監物組頭谷内

蔵之允へ被申渡難有次第也、又七郎手疵も快気有ける上、正保元年

六月御前ニ被 召出段々今度相働手柄を致、手疵も快く一段之儀

被 思召上候、未だ疵も残居候ハゝ当時様も仕可然由、御懇意之被仰渡ニて

御鉄炮十挺御頭被成候段御直ニ被 仰渡、猶又御意ニハ府中ニ罷在ニては

晴やかに有之まし府外ニ罷在て山沢に逍遥し水石を翫て緩々

保養可仕、望ニ任せて何方ニなり共山荘の地可被下由なりけれハ、又七郎は

重ね々(々)御懇の御意身に餘り難有由申上御前を退出す、是を承ける

面々扨/\御手柄哉と称美しけれハ、又七郎申けるハ此度段々結構ニ

被 仰付難有存る也、傳へ聞元亀天正の頃ハ戦国の細注ニして城

攻野合の合戦ハ武士朝夕の茶飯のことく阿部兄弟か如き事ハ茶の

子/\朝茶の子成らんと笑われけん、いつれも其男気をぞ感しける、

御意に任せて益城郡小池村と云所ニ在宅有度よし願有ければ

御免有りて運の薮山共ニ不残拝領させらるへきよし有けるに、又七郎ハ

元来廉直の人成りける故、曽て其儀ニ不及かゝる難有御意こそ無

けれ、草も膽我大君の御領内殊弐竹は御軍用の一ツにして

自然の時ハ竹束の御用の為随分建直へき也、平日の用は勿論 

然るに我是を拝領して制止を加へん事本意ニ非す、御用支なきこそ            24

我本意なれ、山居の楽ミには夕への嵐・朝の松の落葉を拾ハせ

雪の降へをふるうて石鼎に枯枝をたき世恵を忘るゝこそ、気味

淡薄にして面白し迚、薮山拝領之儀ハ御辞退申上候由

光尚公被 聞召上弥御感ニて武勇のミにあらす、又七郎ハ風雅の

意味廉直の者也と御意有て薮山共ニ永/\又七郎子孫まて

御預と被 仰付ける、其後彼地に住居して子孫今に繁昌也

   又曰 栖本天草志岐の三家は元来肥後の一島天草郡の領

   主にて年暦数代を経たりしに、小西行長肥後半国領地有ける

   時に志岐天草ハ誅伐家系断絶す、栖本ハ其後御當家ニ勤

   仕也、酢的館と云て古城跡に居間に有と云家の紋鷹の羽也

   予か若年の頃迄ハ又七郎存生故阿部事の物語を問へ共辞て

   不語、強て問尋れハ物語有し故直談を聞ゝ予の宅ハ栖本氏

   屋敷の向う也、代々通家の好ミ有よし咄なり

   又曰 栖本氏譜代の家人天草平九郎と云者も箙を負ひ半弓を

   以て働き玄関の前にて討死す、此子孫枯木町に居住して代々

   栖本氏の被官也、今ハ行衛をしらす

   又曰 光尚公今度の仕手の面々働の甲乙委細御吟味之上阿部

   兄弟其外の死骸迄井手の口に引出し白川にて洗わせ疵の跡迄

   御吟味に、栖本氏鑓付候弥五兵衛胸板の疵跡うら表に突抜れは

   紛れなかりけるに一入手柄の程揺焉して 公にも満足の由

   御賞美也との事なり

 愛敬氏追加二 巻尾ニ加フ

 

 

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする