同御葬禮之事 附御家人殉死之面々之事
斯て有へき事ならねば飽田郡春日村春日寺之境内ニ而奉火葬
御遺骨を護国山妙解寺ニ奉納、元来 光尚公之御舎弟御幼少ゟ
泰勝寺大渕和尚ニ随順し御薙染有て宗玄公と申けるが、妙解寺ニ
御入院有て天岸和尚と称しける、初七日ゟ御中陰御百ケ日ニ至迄様々之
御作善被也けるとかや、御法号を妙解院殿前越州太守羽林臺雲宗伍
大居士と申奉る、於爰、多年御高恩を蒙り朝夕勤仕之面々御中陰ニ
殉死之志有けるハ、寺本八左衛門直次・大塚喜兵衛種次・内藤長十郎元續・
大田小十郎正信・原田十次郎之直・宗像嘉兵衛景員・阿部弥一右衛門通信・
宗像吉太夫景好・橋谷市蔵重次・井原十三郎吉政・田中意徳・本庄喜助 06
重正・伊藤佐左衛門方商・右田因幡統安・野田喜兵衛重綱・津崎五助長
季・小林理右衛門行季・林與右衛門正貞・宮永庄左衛門宗祐都合十九人私宅又ハ
於檀那寺さも潔く殉死して泉下に奉報、仰(御ヵ)高恩君臣の儀を全す
又茶話曰 内藤元續ハ兼々御懇意なりけれハ、公之御病中此度
御究(容)躰御全快難斗けれハ自然之時御供可申上心底なりけるが
御足を戴き申殉死之願有たれハ御免しなし、押返し/\三度戴
き申時被成御免、殉死の節も老母妻女に暇乞の時平生酒を好ミ
たる故いつれも酒を進め、盃事様すミ長十郎被申けるハ、此中の心遣ひニ
草臥たり、切腹もいまた間も有之休息致可申と座敷ニ引籠り昼
寝いたされ熟睡、時移りけれハ老母の曰長十郎ハ少しの内休息と申
されしか、もはや時刻も移れり、切腹延引せば臆したりなんど悪口ニ
逢んもいかゝ、早起し給へと長十郎妻女ニ申されける時、嫁も誠ニ左様ニて
御座候ハんと挨拶して長十郎休息所ニ至りて、けしからぬ御熟睡也、
御袋様遅くなり可申起し申せとの仰也、早や御起被成候へと有け
れハ長十郎目をさまし少しの間とおもひつる酒に酔其上此中の
草臥故よく熟睡して気力を得たりいざ去らバ
用意セんと心静に諸事取したゝためて、潔く殉死せられけると也
此三人の義心忠情感するに余り有り、百余年の今に至りても聞人
感涙を催さすと云事なく、其外残る人/\も老母妻子入魂
の朋友夫々ニ暇乞なとありて切腹有中/\潔き事ともなり
又茶話ニ曰津崎五助ハ御犬牽也、御放鷹の折々ニ野方ニて甚だ
御意に叶ひける故、平日御懇意なれハ此節御高恩難黙止とて願て
御供申上けるか、御中陰果るの日五助は浄土宗なりけるか、田畑の檀那寺ニ平日御 07
鷹下に率ける犬をも率て来り、切腹の時五助犬ニ向て云様ハ此度
大殿様御逝去被成常々御高恩の面々ハ皆/\御供申上候、我も常
常御懇意ニ付御供申上る也、我死るならハ己ハ今日ゟ野ら犬と成
ん事の不便さよ、御秘蔵の御鷹は御葬礼の節春日寺の井二落て
死り 是も御供申上たるならん、己れも御鷹下に率ける事(犬)なれハ我と
共に死なんとハ思わすや、生て居て野ら犬とならんとおもハゝ此飯を喰う
へし、我と同敷死なば飯ハ食へからすと握り飯をあたへたるに此飯を
見たる斗にて喰ハさりける、其時扨ハ己も死るかと言けれハ尾を振
て五助か顔を(打)守り居けるを、さてハ不便なから我手にかゝれとて引
寄せ刺殺し自身も潔く切腹す、五助か辞世とて其比人のとりはやしける哥に
家老衆のとまれ/\とおしやれともとむに止らぬ此五助かなと云て御
鷹匠衆ハ御座らぬか御犬牽ハ只今参る也とから/\と笑て腹を切けると也
亦曰五助実子有幼少ゟ出家に成り居ける由、依之五助妻に五人
扶持家屋敷迄も下され、御年回には御香奠拝領す、此後家三十
三回御忌迄ハ存生にて、御香奠拝領仕五十年御忌ニハ果候て養子
もいまた不被召出候故、誰ぞ御香奠拝領の者なし五助甥五(両)人有り
兄ハ津崎平右衛門と云弟ハ津崎庄左衛門と云、此庄左衛門か子を殉死後家
養子ニして津崎五助と名乗五人扶持にて御奉公ニ被召出後/\
五助も津崎弾次と云養子有り此弾次病身故御給扶持被召上
奥田権左衛門家司水野孫左右(三)三男を養子にして津崎五助と名
乗御奉公被召出五人扶持拝領す、初ハ觸組後ハ歩御小姓ニ被召出
今以首尾能相勤、 08
又兄津崎平右衛門ハ殉死五助か由緒申立歩御小姓ニ被召出、其子津崎
仁左衛門御祐筆被召出後御中小姓組ニ入老極之後之養子津崎平右衛門
御奉公被召出觸組ニ入是も奥田権左衛門家司水野孫左右二男也
又曰 忠利公御在世御放鷹の折から春日寺へ御立寄り御茶を被召上暫
御休足の間御鬚の延させ給ひけるに剃せ玉はんとて住僧ニ髪剃刀を差
上よと有けれハ古き剃刀を差上ける時御手に取せられ御覧遊し此
剃刀ニてハ多くの死人のあたまをこそ剃つらんと御笑ひ遊し御心能く
御剃遊ハせしかケ様之事共にや春日寺の境内ニて御火葬なり
御遺言共云、古へハ春日寺ハ法相宗の寺なり、今ハ妙解寺の末寺成り上代
彼辺府中の時分洛陽の祇園清水鴨春日稲荷等勧請あり
鴨稲荷ハ今ハなし、畑の中に森有此所其印なり、春日社ハ春日
寺の鎮守として今に御火葬場の脇に有 御逝去之節御庭
籠を放せしに鶴ハ御法事の節多くの人をも恐れす御寺の
庭に来りし由也 鶴には非す白鳥一番ひ飼置給ふ、江津牟田ニ放しけるに、三回御忌に御寺
ニ数日飛来る、御鷹の名ハ有明明石と云二連なり、火に入しなり
御秘蔵の御鷹ハ御火葬之節上まにて輪をかけしか落て火に
入共云、亦春日寺の井に入たる共云、かゝる鳥類迄も御別をしたひ
奉る事誠に希代の名君也、況哉人としてなどか忠情なからんや、