高見権右衛門働下知之事 并阿部兄弟不残討捕人数引揚之事 25
去程ニ高見権右衛門重政は竹内数馬一同に裏門を押破り攻入けるに
竹内数馬一手の輩ははや屋敷内に充満せり、権右衛門ハ裏より表のおく
数馬と入違ふて突て入、其時数馬ハ討死しけれは、阿部一塚の者共最前ハ
奥ニ籠り居たりけるか今ハいつをか期すへき迚不残表をさして切て出けるか、弥五
兵衛ハ又七郎ニ鑓突られ引て入か、七之允も討死す、五太夫・市太夫其外譜代の家来
共多年の恩を奉すと呼はつて思ひ切て働きける故討死手負も多かりける、権
右衛門下知をなして自身も十文の字の鑓を以相手を構す突伏る、権右衛門ハ兼て思慮
有者なりけれハ懐中に髪鏡を入て居けるに、だれかハしらす鑓を以腹をした
たかに突しか、其鏡ニ當りて身ニハ無恙、家来一人半弓を以権左衛門鑓脇を詰、頻ニ
矢を放しけるか、後ハ刀を抜て切て廻りけるに是も深手を負ひ討死す、今其声明を
知らすして意恨なれ、千場作兵衛も大に働き深手を負ひ気労れ、咽かハき
ける故少し気力を助て働かんと水仕処ニ至り水瓶に差懸り水を呑て少し
咽をうるほしける、何も必死に成て仕手の面々相働く処ニ、今日の御目附を
蒙りし畑十太夫ハ大臆病者なりけるが、阿部屋敷門前にも不至かるかに町を
隔て乗廻り色を失ひ震ひ廻りしかハ諸人の笑草に成ける、阿部一族郎
従身命を不惜防くちいへ共勢ひ尽て、五太夫・市太夫も討死し又ハ手負切
腹し一人も残無く討取しかども権右衛門下知なり猶も迯隠て居る者も社
あらめと屋敷のくま/\不残さかし求めけれ共残黨一人もなかれハ焼討
のしるしとして小家を潰し火をかけて、尤火災近隣に移らさることく防の
火も鎮りけれハ手負討死を改て引揚ける、添頭に千葉か行参を知しらず尋
求けるに水仕前ニ刀を杖について半死半生の躰なりしを下人肩ニかけて退
ける、此働き御賞美有けると也、末の卉(刻)に及て事落着しけれは直に 26
今日の御成先松野右京亮宅に伺公して阿部兄弟不残討取候由
言上する所ニ 御前に罷出へき旨被 仰出御書院の庭ニ畏て居ける時言上
の趣委細被 聞召上候其方も相働き手負たりと見へたり、一段骨折候との
御意也、権右衛門難有旨御受を申上今日仕手働の甲乙一々言上せしにも
栖本又七郎阿部阿部弥五兵衛を討取、七之允の為に手負無比類働と
上る、数馬討死之由御尋被遊けるに場所違ひ不存と申上添島九兵衛
をば御直ニ申上ける時、何れも出精骨折御満足に被 思召上候、罷帰
休足可致よし被 仰出権右衛門退出、其後御褒美として御加増三百石
拝領させらる
又曰 高見権右衛門松野右京宅へ仕手の面々同道して不残伺公せしに
働たる衆ハ火を消したる時の灰と血とによごれ顔なとも黒く中/\
其男ふり見事なるがさしたる働きもなき衆と見へた炭はかり
に成たるは見苦しかりし、権右衛門ハ羽二重の衣裳血のりに成て水
落しの近くゟ原にかけて血流れて有しを御覧被遊、其方も働
手負けるにやと御意有りし也。是鑓にて突れし時の手疵ニ今高見家に
此節懐中せしはな紙共血に成た
るなり、鑓ハ十文字代々持鑓なり
又曰 高見氏ハ藤原姓ニて蒲生手の方の一族也、本名和田氏也、代々
近江の和田に在城せし也、和田但馬守・同小兵衛尉其子庄五郎明
智氏ニ仕へて武功有、明智氏滅亡之後御當家に勤仕慶長五年
九月岐阜関ヶ原にて働有之此節ハ 与一郎忠澄(隆)に付居たる故
御流浪被遊候時も直ニ付添、高野山京都へ被成御座時も御奉公申 27
上候、其後 忠興公従豊前被召候ニ付小倉ニ参り御知行五百石御
番頭相勤御意ニて高見と改む、其子高見権右衛門重政有馬御陳
之節御側物頭にて戦功有、然れ共御軍法を破りたる御咎有て
御役被 召上其後又御側物頭有事、寛永廿一年三百石御加増
松平下総守忠弘公の御前御藤様御出生の女中後真如院と云後権右衛門ニ
被下高見権之助其外出生、権之助代二百石拝領御使番其後八代
御番頭其子高見三左衛門其子同権右衛門也
愛敬氏追加三 巻末尾に加フ
又曰 畑十太夫は器量骨柄逞敷、新田義貞の十六騎の其一人畑
の子孫ともいうべき男ふりなりしかハ猶畑ハ今度定て手柄有んと
沙汰せしに想ひの外大臆病の挙動也、依之御追放と云、其後御家中ニて
十太夫と云名付者なし畑か汚名を悪んで也、近年天草甚右衛門十太夫
と云名乗りし、是ハ又畑とは違ひ先祖武功有佳名を慕ひけると也
又曰 新免武蔵と云剱術者 光尚公御伽にて御前ニ有けるハ畑阿部
兄弟討手御目附御 仰付候時御次ニ出畑に云様、扨々和殿ハ冥加者
随分手柄をめされよとて云て背を打けれハあつと云ておひへ、色草葉
のことし、袴紐とけて有を結んとせしに手ふるひ結ひ得さりしと也、此事
其後御前に於て御咄申上大に笑ひしと也
愛敬氏追加四 巻末尾に加フ
又云 誰とハ知らす、親ハ御馬廻り組、子息ハ御近習なり、阿部近所也
御意ニハ其方親屋敷共近所也、阿部兄弟焼討と申付候間在宿有て親
共と随分火災等無之様ニ見繕ひ可申由ニて當番也けるを御帰し
被成、仕手ハ人数極りたり、御下知なきにかの屋敷へ参るへからすとの
御意なり、前夜ゟ在宿にて廿一日ニハ父子共仕手拝命の如くニて阿部 28
屋敷火かけ候時は屋根に上り守り防被申候事、火鎮りて後世上の
沙汰ニハ、某こそ折節御前ゟ御心有て勤番も御免在宿被 仰付
ニ(候)處御賢慮の意味をさとらすして火用心斗して手に合す、是も
臆病故なとゝ評判有り、其仁是を聞てそこにて思ひ當り、扨々
無念の仕合せ、一筋に御下知なきに彼屋敷へ不可参との御意一通りニ
承りて忝き御意□(人偏ニ未・味)をさとらす武運に不叶無是非とて御暇の願
有しに、御意ニハ今度其方事何そ越度無之御下知なきに彼等
か屋鋪へ参可働様も無之其方御下知を守り火災を隣に移らせ
さる様と被仰付候通守り見繕たる事ニて致臆病儀無之、只今之通
相勤可申候、併し若き者之儀以後心を付相勤可申との御意難有迚
御逝去の時殉死申上たると云う、此仁臆病故阿部屋敷へ不参に非す、武
道心懸うすくして忝御意味さとり不被申の一偶を守り機変無
して一度評判にあい申され候、然れ共過て改るに憚る事なく殉死
致され會稽の恥を雪かれしとの事
私ニ曰 右之外阿部屋鋪責被 仰付か衆有といへ共、手に合不被申衆
は名も不聞と也、是に記す衆中は何も働有し衆迄也