津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■沢村家先祖附から (三・了) 三代・宇右衛門友雅 四代・大九郎友朗 五代・衛士友常

2014-06-29 07:16:24 | 先祖附

                          
                         一、(二代)宇右衛門儀寛文五年七月七日病死仕候付被下置候
                            御知行家屋敷共無相違曾祖父沢村宇右衛門(三代・友雅)
                            被為拝領組外被仰付其後御備頭被仰付候
                         一、宇右衛門儀病気ニ付貞享三年三月七日
                            御知行家屋敷共無相違祖父沢村大九郎(四代・友朗)
                            被為拝領沼田小兵衛組被召加其後御備頭被
                            仰付候
                         一、大九郎儀病気罷成罷成申候付被下置候御知行
                            家屋敷差上申度旨奉願候処元禄十五年
                            二月朔日如願被仰付養父沢村岩三郎(五代・衛士友常)

                            家督無相違被為拝領有吉清助組被召加候
                            岩三郎儀其後衛士と相改申候 宝永七年
                            五月晦日御備頭被仰付候 享保十七年十二月
                            御家老役被仰付候
                            隆院(宗孝)様御婚礼御用ニ付而寛保元年
                            九月江戸江被召寄同十一月十八日御結納之為
                            御使者
                            紀州様江被指越候 此節従 紀州様御腰物

                            被為拝領御盃被為頂戴候 同月廿二日
                            御婚礼ニ付御輿請取被仰付相勤申候 同月
                            廿七日御三ツ目之為御祝儀 此方様ゟ
                            紀州様江被遊御出候付而御供被召連此節
                            又々従 紀州様御腰物被為拝領候
                         一、寛保二年四月朔日 八代姫様松平
                            讃岐守様江御婚禮之節衛士儀御輿渡
                            被仰付相勤申候 此節讃岐守様ゟも御腰物

                            被為拝領候 右両御婚礼御用首尾能相勤
                            申候由ニ而御懇之御意を以御時服品々被為
                            拝領候 其外於御當地も度々拝領物被仰付候
                         一、衛士儀同年四月江戸被指立六月當御地江
                            着仕候 然処同年五月ゟ病気差■申候付為
                            御尋度々被成下 御奉書御肴をも被為
                            拝領候 衛士病気色々養生仕候得共不相叶
                            寛保三年閏四月十七日病死仕候


     澤村大学介吉重====宇右衛門友好---宇右衛門友雅---大九郎友朗
                      ↑                 ∥
+-----●--松井二平次--庄次郎友好          +---●かな
|                                 |
+---松井康之------興長------寄之------直之---+-----壽之

 

■三代・沢村宇右衛門閉門・知行召上らる。  以下二点の資料から内容に異同が見受けられる。

・妙應院(綱利)様御代、澤村衛士様 御備頭 御妹の儀に付、世上専沙汰に及候に付、御役儀御勤成され難く、御断仰上て、御知行御屋敷差上られ候段、御内存の趣、松井求馬仰達せられ、御病気の由にて、御引込在せられ候段、御家老中様より、於江戸坂崎忠左衛門様、松月院様(木村豊持)へ、御連名の御状を以て、御内意仰越候處、右の筋至て難相済御事に付、御知行召上られ候御様子に候處、松月院様御格別なる御取成有之、御役儀をも、其儘に御勤成され候儀仰出され候間、難有次第思召候由、求馬様より、松月院様へ、御状を以て仰越され、衛士様よりも、御禮状差越され候事
                                                                (肥後文献叢書・肥後先哲遺跡、木村豊持項) 

・貞享二年八月十日 (熊本藩年表稿から)
沢村宇右衛門・有吉清助・伊藤一平らが立花飛騨守関札ノ内に止宿したため閉門、なお知行は蔵納同前とし今月より当前扶持方支給 (花畑邸奉行所) 


四代・沢村友朗の墓地 七城町亀尾字北杉田2038

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