○阿部弥一右衛門評判悪敷叓
此度殉死十九人の面々は忠情ニおいて何れ甲乙可有様も無処阿部
弥一右衛門壱人世上の評判におふこそ是非なかれ、其故を尋るニ
忠利公御病中志之面々何も殉死の願有、此弥一右衛門も多年の御高恩幼名(明石) 09
猪之助と申時ゟ御懇意ニて御取立遊され今千餘石を領知して子供も有
馬御陳の働にてそれ/\に被召出新知をも被下置し事なれハ今度難黙止、多年の
御高恩可奉とおもひ殉死の願を致しけるに 忠利公如何成思召にや
志ハ御満足ニ思召といへ共おなしく具ハ存留り 光尚君に忠勤を励ミ
可申由被仰出けれハ、此度の御別れ是非なく思ひ留りけるか自然事あらん折
にこそ 光尚君御馬先にて年来の御恩を可奉報と悲嘆の涙にくれなから
惜らぬ命をなからへて君命の重きを守りけるに、世の嘲哢には弥一右衛門事厚キ
御恩を蒙りし者なれハ、今度御供可申上処殉死御免なき迚も一途ニ御供と存
極る、殉死ならハ腹を切へきに口にてハ追腹も致し真実の殉死ハなからぬ者也
弥一右衛門か追腹は腹の皮かれ瓢たんニ油をぬりて切れよかし抔、悪口のミの評判
にして、狂歌落書なと人の口にのりけれハ弥一右衛門是を傳へ聞、扨々不及是非
事かな口惜や何おしかるへき命にあらねとも君命の重き故命(?)なからへ居るのも
自然の御用にも可立との所存也、少も命を惜しむへきに有す、武運に不叶仕合也
いてさらハ瓢箪に油をぬりて口の悪敷やつばらに腹を切て見せんとて御免
なきに押て殉死をそ遂たりける