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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■MOZU Season1~百舌の叫ぶ夜~

2014-06-12 18:08:47 | 人物

 フレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」や「オデッサファイル」等を夢中で読んだ後、ある人から「日本では逢坂剛が面白いよ」と勧められて読んだのが、「百舌シリーズ」だった。随分以前の話だ。他にも「者よグラナダに死ね」「カディスの赤い星」等を繰り返し読んだものだった。


最近テレビドラマ等はほとんど見ないのだが、或る時TVをつけたらこれをやっていてちょっと眺めて、以来二三回欠かすことなく眺めている。西島秀俊という俳優は、先の大河ドラマ「八重の桜」の演技を見て、伸びる人だなーと思っていたら案の定ブレイクしたようだ。
私の「倉木刑事」の印象は、もっと体格の良い人を考えていたのだが、西島秀俊のシャープな感じも「有り」だなーと思ったりしている。
「百舌シリーズ」の文庫本も既に処分してしまっていて手元にないが、作中の倉木は案外そんな設定だったのかもしれない。

ちょっと目が離せないドラマではある。(用心の為に録画をしておこうといういうミーハーではないのだが) 


                                                    百舌鳥のさけぶや その葉のちるや  山頭火

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■捕獲・・・

2014-06-12 15:37:21 | 徒然

 郵便局まで出かけた帰り道、何時ものごとくあっちを見こっちを眺めしながら歩いていると、街路樹の楓の幹に紙きり虫が二匹とまっている。
立ち止まって捕まえようとしていると、車で通りぬける人たちが怪訝そうにこっちを眺めているが、子供心に帰って二匹とも捕獲、次の木でも一匹見つけたが手がふさがっているのでこちらはスルー・・・・家迄4~500mを逃げられないようにしながら、必死の思いで帰宅。観葉植物にのっけて撮影したのがこれ(一匹のみですが・・・)
あとは逃がそうと思っているのだが、ただいま我が家の中を遁走中・・・テレビ台のの下や、カーテンの裏表、本棚の中など虱潰しに探索しているが行方不明、奥方が返ってくる前に放免したいのだが・・・・・・・ 

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■松寿庵先生 第103講

2014-06-12 14:03:52 | 史料

 史談会の関係でここ一週間ばかり、上妻本「阿部茶事談」の読み下しにかかり、ようやく28枚(56頁)を読了タイピングも完了した。昨日は疲れ果てて21時にはベッドに倒れ込み、なんと10時間の睡眠をとり、今日午前中に終了した。今日偶然にも「松寿庵先生 第103講・阿部一族にみる殉死」が、熊日新聞が発行している生活応援誌「すぱいす」に掲載されていた。
実は最近私は、松本寿三郎先生の「古文書を読む会」に参加させていただいており、昨日がその例会であった。前もって配布されている資料を、出席者が1頁づつ担当して読んでいく。これに即座に松本先生が解説をされるという具合だが、皆さんよく勉強をされていてすらすらとお読みになり、びっくりしている。
史談会と二足のわらじに成ったが、なんとか欠席せずに頑張ろうと思っている。 

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■上妻本「阿部茶事談」 ニ

2014-06-12 07:18:36 | 史料

同御所労御逝去之事

有馬落城の後は海内静謐にして国家安全也しかハ、両公参勤

交替怠り給ハす、今度の御軍功他に異なる由重ても 将軍家の

御感甚だ厚かりけるか宅地を添へ給ひ亦御鷹の鶴其外折に

觸たる賜物品々なりとかや、同十八年春三月 忠利公御参勤の

時節たりといへ共罹病而懼失、江府参勤之期告其趣執政給ふ

即達 台聴三月廿日依 釣命以醫以策自京都遣而療養之す

同二十二日使曽我又左衛門近祐遣之熊本問、其病諸執政奉旨寄書

告之曰

  所労之由亦願候趣 上聞候処無御心元被 思召依之以

  策儀自京都其元へ被差越候 無油断養生肝要ニ候旨

  上意候 猶頓後音之時 恐々謹言

      三月廿日      阿部對馬守

                阿部豊後守

                松平伊豆守

       細川越中守殿

 

  所労之儀達 上聞候処無心元被 思召候 上使曽我又左衛門

  被 仰含候 恐々謹言

      三月廿三日     阿部對馬守

                阿部豊後守

                松平伊豆守

       細川越中守殿

 

如斯 将軍家甚以御懇意ニ而上使迄有りといへとも御療養叶わせ給ハす 

定業限り有て寛永十八年巳三月十七日従四位下左近衛少将兼               05

越中守源忠利公御齢五十四歳にして於肥後國熊本城御逝去

有けれハ国中の嘆きたとゆるに物なし、於他邦も傳へ聞輩は

あわれ名君なりしものをと感悼し奉らすと云事なし

三齋君御悲嘆の余り御追悼の御詠歌あり

   行くも道ゆかぬも同し道なれと連て行ぬをわかれとそいう

   古老茶話曰 忠利公ハ文武兼備の名将にてまし/\礼・樂・射・御書・

   數の六藝ニ達し給ひ、剱術ハ柳生・中條二流其(共)ニ奥旨を御受

   極しける、御馬御上手ニて折々曲馬抔御乗馬あり、御馬ニて御湯

   漬抔(被)召上、梯碁盤乗り色々の事を御乗遊ハし候を、何れも拝見

   せしと也、歌道ハ冷泉為綱卿の御弟子御逝去の時も為綱卿御

   追悼の和文にて 一とせ筑紫にことありしにも 忠利公の戦功を

   柳営是を賞して関西の簱頭を賜ふとあり

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