随分以前、こういう名前の人物についてお尋ねをいただいたのだが、果たして何方なのか判らないまま数年を経てしまった。
数日前から丹後旧事記や丹後細川能番組を読んでいるが、後者の能番組の中に長岡おはす殿の名前を発見した。
女性とばかり思い込んでいたが、実は男性であった。解説には次の様にあった。
5~9に〈鷺(二回)・西王母・猩々・籠太鼓〉のシテを舞う。最初の登場が〈鷺〉のシテという破格の待遇からも幽齋の子で天正15年7月17日に早世した蓮丸〈(出典・細川幽齋〉の愛称が「おはす」であろう。天正14年12月の9を最後に名が出ないのも翌年に没したのと照応する。細川家系図類は蓮丸を五男としているが、四男とされる次の与十郎(茶知丸)よりは年長だったことが本番組から確認される。
「おはす」「蓮丸」・・・・・・・・何故今迄気が付かなかったか・・・・・・・・・こんなことも有る(汗、、、)
因みに5~9とは
5、天正十四年丙戌二月十二日(ママ)於円隆寺
6、 同七日 於一如院
7、 同十四日 於米田助右衛門座敷
8、 同 十一月三日夜 於宮津御城殿
9、 同 十二月廿二日 於田辺小笠原少左衛門庭 等で行われた能番組である。
因みに下の写真は 幽齋五男・細川蓮丸像 としてオークションに出品されたものである。
蓮丸については資料が乏しく、この蓮丸像は大変貴重なものだと思われるが、画賛の内容がどの様な物か知りたいものである。