津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■尾てい骨

2014-06-07 16:42:10 | 徒然

 毎日外出することもなく、ただただ読書をしたりPCに対したりしているが、誠に尾籠な話だが最近尾てい骨が痛くてたまらない。
椅子に座布団を重ねて凌いでいるが、間違いなく遠い先祖は猿だよな~等とおふざけ気味に思ってしまう。
ベッドに入ってもお尻の収まりどころがなく、まずは横向きで寝るのだが、いろいろ考え事をするからすぐに眠りに入る事もなく、数回寝返りをうってそして寝入る事になる。真夜中に目が覚めると同様なことで、それでも朝方には何となく真上を向いて寝ているから不思議である。
良くなったのかしらと、尻を動かすとまた痛みが走って起きだすまでは、右を向いたり、左を向いたりと時間の経過が気になってくる。
厄介なことだが、これが加齢というものであろうか・・・・

処で「尾籠」という言葉について昔書いたような気がするのだが、ブログ内検索を懸けても見つからない。
なんでも応神天皇には尻尾がおありで、これを女官が建具の開け閉めの折に挟んでしまい、天皇が「尾籠なり」と声を挙げられたというのである。
これはともかくとして、尾てい骨なんぞ何の役に立つのだろうかと不思議に思うし、進化の過程においても何故残されたのかも不思議で、応神天皇の尻尾なども本家帰りの現象かもしれないな~等と、時折尻の置き所を移しながら思ったりしている。 

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■転居

2014-06-07 09:18:39 | 徒然

 先祖附を読んでいると、当主が亡くなると「御知行、家屋敷無相違相続」などという言葉に遭遇するが、そうはいかない事も有る。
堀内傳右衛門は彼の著「旦夕覚書」のなかで、父・三盛が亡くなった際は死の三日後に転居したと記しており、それは「傳々」のことで在ったと記している。

       父三盛被果候年は拙者廿七才の時にて、其時分は親果候て三日法事過家屋敷差上申様に被仰付候、
       是は傳々にて能家屋敷御次方の者共病中にも夜るは屋敷の間を打見申なとゝ沙汰仕申候 老父承申
       扨々笑止成事昔は無左候、唯今も先君へ被相勤申被候衆御側にも有之候、是程の事を不被申上候哉
       と悔被申候、右の通にて手取金津助十郎屋敷へ荷物なと遣候時、坂崎清左衛門殿通り見被候て尋させ
       被申候へは三盛荷物と申たるよし、御花畑へ當番にて詰被申し候時にて、御家中侍果候て三日過家屋
       敷差上申事妻子嘆きの内に扨々笑止に存候、今日三盛屋敷差上候故荷物のけ申候を見申候て三七め
       か或は三十五日かに上ケ申様に御奉行衆へ申度事と被申候、近年は五十日過に成候哉其時分も御家
       中古人は三盛は存命の時人の為に成候者にて候つるか、果候て跡にても諸人の為に成申と心有衆は被
       申候段神以承候 (以下略)

何時の時代にも下らぬ決まりごとがある。坂崎清左衛門殿の言やよし。

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付けたし
傳右衛門の話の最末尾部分に「神以」という言葉が登場するが、これは傳右衛門のくせらしく、あちこちの文章に登場する。
「身命に誓って」とでも解すべきなのだろうが、間違いなくこのようなことがあったのだと言いたいのであろう。 

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