津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■尾藤家の家紋、そして桔梗紋

2015-11-06 09:42:12 | 家紋

                           
                             違い斧紋 

 細川家家臣尾藤家の祖・藤原(尾藤)知宣は讃岐国十八万石を領していたが、天正十六年豊臣秀吉より勘気を蒙り領国を召し上げられ牢人、十八年(1590)八月切腹を仰せ付けられた。(詳細は武家家伝-尾藤氏をご覧いただきたい。)
二男・尾藤知則(金左衛門)は福島正則家臣をへて、寛永十二年(1635)に細川家に召し出されている。
そして天草島原の乱に於いて討死した。

尾藤家の家紋は、違い斧紋と巴紋が伝えられている。もっとも知宣は桔梗紋と折れ墨紋を使っていたとされる。
尾藤家没落後、秀吉の命により武具とともに加藤清正に譲られたことが「加藤家伝」や「加藤清正伝」などに取り上げられ、まるでもらい物であるかのような取り扱いがされるのは、いささか噴飯ものである。加藤家は土岐氏である。秀吉はその事(土岐氏=桔梗紋)を承知の上で、清正に尾藤家の諸道具を渡したと考えるのが妥当であろう。
私共が声をあげても犬の遠吠えと受け流される。大学者の先生がお説でも立てられない限り、加藤家の桔梗の紋は尾藤家からの「もらいもん」のままになりそうである。

コメント (1)
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