津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■イヤープレート1942

2015-11-24 12:45:48 | 徒然

         「イヤープレート1942」の画像検索結果 

 毎月22日はショートケーキの日だそうな。カレンダーを眺めると22日の上には必ず15日(いちご)が乗っているからだと言うのだが、いろいろ考えるものだ。

友人の家に上の写真のイヤープレートが飾られていたのを見てから半世紀以上にる。
イヤープレートは、ロイヤルコペンハーゲン社が毎年「クリスマスプレート」と呼んで製作している。このイヤープレートの誕生(1908)で、クリスマスに自分の生まれ年や、記念年のお皿でケーキを食べる風習が生まれたという。
お金持ちの子だったその友人は、さも得意気に話したものだが、まったく知識がなかった私は上の空で聞いていたし、すっかり忘れてしまっていた。
一月ほど前か「なんでも鑑定団」に、1908年以来のプレートをフルセットで出品した人がいて、高額な金額(300万→800万円)になった。
それをながめていて、そうかあれはあいつの誕生を祝って購入されたか贈られたものだろうと理解した。 

それ以来彼に会う機会もないし、消息も聞こえてこない。彼の人生に鐘は高らかに鳴ったのだろうか。
幼い頃の思いでは瞬時に鮮やかに蘇った。      

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■熊本市の文化財を観る (4)

2015-11-24 10:24:38 | 熊本

                    9 不動院跡の六地蔵塔

 

 肥後型と呼ばれる六地蔵塔のうち、姿が一番美しいとされる「不動院跡の六地蔵塔」である。
昭和61年1月熊本県指定重要文化財になったが、当時の所有者は熊本の歴史に造詣深い寿司屋「時雨」の社長・佐渡資生氏であった。
熊本市九品寺の大きな通りの四つ角にお店があったように記憶するが、私は九品寺にあったというこの六地蔵塔の存在は知らなかった。
現在は坪井2丁目6-22にある某会社の裏手に移っている。(グーグルアースで確認)勝手に入る訳にも行かないから、まだお目にかかれないでいる。
夏目漱石が「名月や十三円の家に住む」と詠んだ第2の家「合羽町の家」(現・熊本市坪井)の筋向いである。その内に偵察に出かけようと思っている。

 先にご紹介した熊本県文化財保護協会発刊の「熊本市の文化財」にある写真は、九品寺にあったころのものだが、これがなかなか良い。
佐渡氏の心から郷土を愛する気持ちが顕れているように思える。
氏は「時雨かわら版」という数ページのタブロイド版の新聞(月刊?)を発行されていた。なんで私の手元に届いたのかすっかり忘れているが、残念ながら処分してしまった。私の先祖が佐々木介三郎(水戸光圀家来)が来熊の節、案内役を仰せつかったということをこの新聞の記事で知った。
私の歴史狂いはこの記事のお陰(?)といっても過言ではない。

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