あちこちのお宅の先祖附を読んできたが、最後のご当主についてその名が官名や国名に由来している方々は、一斉に名前を変えられている。
簡単な所では「衛門」「大夫」「兵衛」等々である。「助」等もある。いろいろあるが 百官名 をご覧いただきたい。
明治三年十一月十九日の太政官布告(第845)の「国名並びに旧官名をもって通称に相用い候儀停められ候事」による。
現在あるお宅の先祖附を見つけている。「改正禄高等調」での名は「■次」とあるのだが、この方の先祖附が存在しない。
家禄250石のお宅の先祖附が存在しないのはおかしい。処が細川家家臣略系譜を見ると同姓で「■右衛門・■兵衛」と名乗っておられるお宅がある。
官名等の使用が出来なくなり「■次」と改名された可能性は大いにある。
図書館に出かけ「先祖附」を拝見すると、最後の当主(明治三年)と改正禄高等調にある明治七年当時の当主の名前が一致しない。
さて困った。家禄・家紋などからすると同じお宅であることは間違いないのだが、同一人物でなければ親子か兄弟か・・・困った。
三六
「天明三年十一月
一薬種屋共願ニよつて、薬種中買札改メ被渡下候事」
一薬種商賣之儀ハ別て不直成儀有之候てハ難成、前廉ハ薬種屋中立合、中買を定、眞偽間違無之様遂吟味候處、近
年仲買猥ニ相成、一向薬種之儀存知不申者、眞偽之無差別持歩キ、商賣仕候、依之御國中薬種屋中え薬種中買札
御免被仰付被下候様、左候ハヽ、薬種屋中立合人柄吟味仕、札相渡置、無札之者ハ薬種取扱不申様ニ被仰付被下
度段、町中薬種屋共より願出、如願及達候事
右明和七年十二月日帳
三七
「天明三年十一月日帳
一紀州椀賣姪濱商人佐賀屋武次郎・米屋惣吉、願ニよつて在中入込御免之事」
一椀賣幷富山薬・紺屋形賣等之名目を以、在中え入込、小間物類・帷子類・絹類種々商賣いたし、椀賣共相馴、縁
組之媒をも仕、長物・箪笥等ニ至迄注文ニて指下、或ハ浄瑠璃等指南いたし賣弘候付て、一季ニ熊本ニて両替仕
候銀高五百貫目程之由、其外在町等ニて両替いたし、或ハ俵數を以積出候分ニハ何千貫目ニ及可申哉、如此在
中調物自由ニ罷成候故、熊本小間物屋共相衰へ、近年ニ至候てハ及滅亡候者多ク候趣、小間物屋中より書付相達
候ニ付、御郡代え入披見、如此之儀已來共無遠慮申出候様申聞せ候事
右明和八年九月日帳
三八
一當年八十九歳ニ成候者と九十歳已上ハ、以來別通ニ〆相達候様及達候事
右明和八年十月日帳
三九
「天明三年八月日帳
一町内馬繋之儀、往來之妨ニ不成様家主より心を付候様ニ尚又達之事」
一町内ニ馬繋候節ハ、往来之妨ニ不成様家主より心を付可申儀勿論ニ候處、猥ニ繋置、其妨ニ相成不埒ニ候、若怪
我人等候てハ難通事候條、家主/\より心を付候様屹ト申付候事
右明和八年十一月日帳
四〇
一近年表向之作事心懸薄、勝手宜キ者も内證ハ相當之作事いたし、表向ハ板葺等有懸り之儘指置候儀風俗之様相成、
心得違之事ニ候、町並旅人之見込厚ク無之候ては、自然と不致繁昌商賣、地方之商賣も不賑合ニ成行候道理ニ付、
兎角表向引繕候様、惣て繕作事等之儀、丁役人共平日心を付、不見苦様申付、萬一我儘之申分於有之ハ早速可
申出候、丁役人共心懸薄候ハヽ可為越度段及達、人別印形を取揃候上、別當共より請書可指出段申付候事
右安永元年二月日帳觸状扣
此趣寛政十二年二月廿ク日猶又達、日帳ニあり