津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■雑色草書(14)

2017-11-27 20:32:15 | 史料

 八八
一町中之者、他國え罷越候節之請合證文ニ、如何様之筋ニて罷越候段申筈之處、近年ハ用事又ハ商賣付て罷越候と
 迄申出候儀間々有之候條、前々之通、何々之用事又ハヶ様/\之商賣ニて罷越候段、委ク書出候様及達候事
  右安永九年二月日帳

 八九
一銭預之儀ニ付てハ、去々年二月屹ト及達置候處、其後も間々不埒之儀有之由相聞不埒ニ候、依之、此已後ハ銭預を
 取候者之方より預出候者之手前得斗相糺、何時ニても現銭相渡候儀、無支者と見定候上、通用可致候、身上見懸
 りも無之者之預を取、及難澁訴出候共、決て御取上無之筈候間、入念相互ニ遂吟味通用いたし候様、家蔵等も致
 所持、現銭相渡候儀無支程之者之預不埒之節は、訴出次第急度御裁許可被仰付候、右之通ニ付借家之者ハ不及
 申、家持たり共纔之身上之者ハ、一切銭預出候儀停止被仰付旨及達候事
  但、去々年ハ熊本町計ニ及達候得共、此節ハ町在一統ニ及達候事
一右之通及達候付て家蔵等致所持、現銭相渡候儀無支程之者之預不埒ニて訴出候節ハ、家蔵ハ勿論、家財ニ至迄悉
 闕所被仰付、可被引渡候、其上ニも銭高及不足候ヘハ、其者身上振立次第訴出候ヘハ、尚又御裁許被仰付筈候事
  右安永九年四月日帳

 九〇
一愛宕山御初穂銀之儀、素銀ニて相納候懸りも有之由、左候てハ殊之外及難澁候由、内意有之候ニ付、以來ハ一統
 ニ判屋包ニて相納可申段及達候事
  右安永九年四月日帳

 九一
一無據譯有之宗旨ハ寺替いたす節は、双方之寺院得斗懸ヶ合、納得之上請込可申處、其儀無之間々出入有之様
 子ニ相聞候、以來ハ新タニ旦那寺ニ頼候寺院より元旦那寺え及取遣、支無之との書付を取候上、請込可申候、
 尤娵(よめ)入いたし候者ハ、向々之宗旨ニ相成候儀通例ニ候ヘハ、右躰之節ハ双方之寺え届ニ不及候、譯有之實方之旦
 那寺ニて居候者ハ、向方之旦那寺え其譯届置可申趣、安永六年九月御郡代より伺ニよつて及達、其段四ヶ所町
 えは翌七年相達、熊本町計達無之候處、此度本因寺と古鍛冶屋町次左衛門と申者申分有之候付て、右之趣、在中
 幷諸寺院えも及達候間、心得違等無之様ニと町中え申付候事
  右安永九年五月日帳

 九二
一火事之節、最寄/\之懸りより根取宅え注進いたし來候處、甚及遅々火鎮り候上、罷越申儀も有之、注進之詮も
 無之候、別て新町・古町方角之節ハ、一向分り兼、馳付も及延引候條、以來ハ新町・古町方角ハ勿論、御郡内之
 火事たり共、程近所ハ火元何方との儀、最寄之懸りより宅々え早速注進いたし候様、急度申付候事
                    坪井堀端
                      河井清右衛門
                  立田口射場丁
                       佐藤彦九郎
  右安永九年六月日帳

 九三
一高麗門内勢屯水道浚方有之候付、町受之所浚候様ニとの儀、御掃除方より達有之候付、重疊遂吟味候處、前々
 右之水道、町より手入いたし候儀一向不相分候、依之御掃除方え段々懸合、及錯亂候趣、於御掃除方分職詮議有
 之、右之所ハ町ニ境候所柄故、以來浚之節御掃除方よりいたし、拾五間半之樋蓋損候得ハ、町よりいたし候様、
 此節相極候條、其通相心得候様可及達由ニ付、右之書付新三丁目別當え相渡、記録いたし置候様申付候事
  右安永九年九月日帳

 九四
一諸願書之内、町人數を離候儀、或缺落達、又ハ一季若黨奉公願之類ニは、類族ニて無之段書加申筈之處、其儀
 相見不申も有之候、以來右躰之達書ニは都て類族ニて無之段相加候様、勿論類族ニて候ハヽ極り之通相心得可申 
 候、且又他國え罷越候節之證文ニは、今迄類族有無ハ書出不申候得共、是亦以來ハ類族有無書加候様ニ申付候事
  右安永九年十月日帳

 九五
一大坂・長崎え之送り證文、御奉行中えの殿文字、是を調來り候處、根取より之當上ニ付、格之通此通調出候
 様達之事
  安永九年十一月日帳

          ■の文字  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■河喜多治部右衛門殿

2017-11-27 08:29:57 | 史料

 ガラシャ夫人に殉死した河喜多石見の三男家の11代目である。
             11、甚助(治部右衛門)
               
文政十三年八月(三拾挺頭)~天保三年正月 鉄炮五十挺頭・後用人ニ転

 茜色の旗指物だとされるが鉄炮五拾挺頭にふさわしい見事なものである。
 ヤフオクで入手したが届いたらコピーを取って色付してみようと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■熊本史学・内容細目(11~20号)

2017-11-27 07:22:19 | 史料

「熊本史學 第11号」

   1 装飾古墳弁慶が穴調査報告
   2 熊本における明治産業資本の史的性格
   3 九州風土記(甲類)の平安中期撰述説への一批判
   4 明治初年熊本県関係農民騒擾録 (三)
   5 野原八幡宮祭事簿 (一)

「熊本史學 第12号」

   1 水前寺廃寺の塔礎石群
   2 八代高子原村花奴組成立の母胎
   3 熊本の教育における新旧勢力の対立

「熊本史學 第13号」

   1 九州における突起ある横穴式石室墳
   2 卑彌呼と壱与について
   3 桧垣嫗集成立私論

「熊本史學 第14号」

   1 地方寺院の師資相続
   2 近世における一在町の変遷
   3 薩藩における「門」の人的構成とその史的考察
   4 続日本後紀の分註
   5 米原村庄屋日記 上
   6 明治初年熊本県関係農民騒擾録 (四)

「熊本史學 [第15-16号]」

   1 菊池氏の起源について
   2 八代高子原村花奴組の成立
   3 アイヌにおける異世代婚
   4 小川町年ノ神古墳
   5 益城郡家考
   6 鹿本・玉名地方の旧要道の考証
   7 熊本県の焼畑
   8 野原八幡宮祭事簿 (二)
   9 米原村庄屋日記 (中)

「熊本史學 第17号」

   1 八代高子原村花奴組の成熟 (前篇)
   2 変質期における球磨の荘園
   3 天草学林河内浦説の提唱
   4 本渡に鎭種は居坐つた (上)
   5 池辺寺考
   6 清代満州語音に現われた蒙古語音の影響
   7 米原村庄屋日記 (下)

「熊本史學 第18号」

   1 細川藩災害損毛誌
   2 八代高子原村花奴組の成熟 (後篇)
   3 本渡に鎭種は居坐つた (下)
   4 肥後の仏像彫刻-その一-
   5 五木村の衆議について
   6 中村廃寺について

「熊本史學 [第19-20号]」

   1 少数民族の歴史によせて
   2 肥後の仏像彫刻 (二)
   3 隼人征伐史
   4 上納銀よりみた村財政
   5 きりしたんころび証文
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする