津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■再開・度支彙凾(15)

2017-11-07 11:22:17 | 熊本地震

 六五
  〇文化八年未暮御達
 御家中之面々勝手向難澁之様子付ては、いか様とそ御心をも被用下度事ニ候得共、何レも承知之通御勝手向ニて
 甘ニ相成候程之儀出來兼申候、別紙拝領米之儀は少分之儀ニは候得共被下置旨被仰出候
  但、米高之割合異同有之候、右は當時柄之事ニ付、大身且御役付之輩と申候ても難澁之様子ニ候得共、小身
  無役之輩は別て差支候面々も可有之哉ニ付、小身無役之面々、米高之割合多被下置候
 右之趣奉得其意組々支配方えも可被申聞候、以上
   十一月
 一貮百俵         三萬石
 一百俵宛         萬石以上
 一七拾俵 御役付御拾俵宛 三千石以上
 一三拾五俵宛 役三十俵  貮千石以上
 一拾七俵   役十五俵  千石以上
 一拾貮俵   役十俵   五百石以上
 一九俵    七俵    貮百石以上
 一七俵    役五俵   三拾石以上
 一四俵    役三秒俵  御中小姓
 一六斗    役五斗   独禮已上
 一四斗    役三斗五升 諸役人段已上
 一三斗    無差別   御側足軽役
 一貮斗八升  無差別   足軽役
 一貮斗    右同    無苗
  以上

 六六
 御勝手向近十年非常之御物入打續御難澁至極ニ付、去巳年より當未年迄三ヶ年之間御儉約之儀、辰十二月委細及
 達置候通候處、其後も餘計之御物入差湊御差支ニ付、申ノ年以後も彌以御儉約被仰付段従江戸被仰付越候條、
 御家中之面々えも猶更諸事是迄之趣を以質素を相守候様、尤御儉約之年限且委敷儀は追て被仰出筈ニ候條、奉
 得其意組々へも可被申聞候、以上
   十一月

 六七
  〇文化九年申六月御達
 當時格外御省略付ては、右年限中餞別・土産之儀身近親類たり共可為無用旨及達置候通、彌以心得違無之様組支
 配方えも可被心付候、以上
   六月朔日

 六八
 當暮御家中御引立米之内、去ル巳年より百石高壹石五斗宛、御中小姓以下は右ニ准し、丈ヶ/\之御取立高被究
 置候處、當暮小身之面々至て困窮之様子ニ候ハヽ、組頭・支配頭等より困窮之様子引取書ニて被相達候ハヽ、右
 之内身代ニ應し斟酌を以被延下候、尤大身たり共難澁至極候ハヽ、是又右同様筋を可被附下候、総て此儀誠ニ逼
 迫至極を被助候主意ニ付、小身之輩程割合宜被延下、身代宜程割合細クゆるめを被附下筈ニ候間、此段可申達置
 旨候事
   十月           御勘定所御奉行所中
  本文之通候處、究御取立無之候得共至貧之面々も可有之、且御扶持方迄被下置候輩、是又當暮難澁候ハヽ、
  少々宛拝借可被仰付哉、組支配本行同様被相達候ハヽ可及僉議候事

 六九
 去ル寅年より年限を以稠敷御儉約被仰出置、去年迄ニ右年限終候處、當年以後も是迄之通被仰付旨去冬及達置
 候、然處、御家督之砌より御勝手向之儀ニ付被仰出置候趣有之候間、取しらへ候處、根元御所務高は古今之無差
 別、御出方ハ比多物増長し、加之非常之御物入打續、巳ニ御公務を始御國用をも被辨候御仕法盡候程之儀候處、
 色々と指繰漸被凌候末、最早必至度差詰理ニ相成、且御家中も彌増難澁之時節ニ付、猶格別之御儉約筋ヶ條を以
 可被仰出候得共、此節は別段思召之旨被為在、加被及其御達候、御家中之面々右難澁之中ニも御奉公無懈怠相勤
 文武之心掛も不怠段は尤之儀ニ被思召上候、然處衣食住之華美を初一統之時節ニ連ラレ、大小身共ニ手取米等之
 分限を不考、地場之暮ニ節度を失ひ候所より多ハ困窮ニ至、拝借等をも願立、御難題ニ相成候輩も有之、且輕輩
 者も有之不埒之事共候、総て衣服之儀、寶暦之砌御制度被仰候出後、夏之衣類ニ越後縮之外、絽等之帷子、其餘
 八丈嶋類之品着用不苦と申所より次第ニ相ゆるみ、士席以下町在之者迄も前文之通之風儀ニ至候共ニてハ無之
 哉、是迄之品ハ仕継之節心得も可有之候、将又婚禮之仕度・諸道具奢侈ニ相成、持参銀等之申談も有之候哉ニ相
 聞、よからさる事共ニ候、此外無益之費を成し候事多キ由、就中御制外とは申なから小兒之衣服等も美を競イ、
 或は集會等ニ酒宴長し、困窮之折柄不都合之次第ニ候、右之通ニ付てはヶ條を以可被制儀ニ候得共、前文ニも申
 述候通此度ハ不被及其儀、上之御旨趣計を被及御示教置候間、能々御旨を奉伺察、前條之通之幣風を改、衣食住
 ヲ始自己之質素ニ歸シ候様可被相心得候
 右之通可申聞旨被仰出候條、組支配えも可被申渡候
 以上
   十月

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■熊本ー鶴崎間三十里余

2017-11-07 07:40:03 | オークション

 オークションで熊本ー鶴崎間の里程が記された文書を手に入れた。(286×2,350㎜)
一里ごとの場所と共にその間の村々の川や坂・山の名前等が記されている。また別に、鶴崎から佐賀の関に至る鶴崎道については詳しい絵図が書き込まれている。
残念ながら作者や製作年などは記されていない。そして裏面には「途中流説」と題する、途中の村々で起きた事件など見聞きした事が記されている。
大変興味深いもので、これ等の事件を追っていくと粗方の時期が判るのではないかと思われる。追々読み下しをしてご紹介したいと考えている。

      中上質厚紙・熊本藩参勤交代の熊本~鶴崎の宿場と地図(二重峠、鶴崎~佐賀関)裏面に途中流説_画像1 一里ごとの里程

      中上質厚紙・熊本藩参勤交代の熊本~鶴崎の宿場と地図(二重峠、鶴崎~佐賀関)裏面に途中流説_画像4 左端が佐賀関

      中上質厚紙・熊本藩参勤交代の熊本~鶴崎の宿場と地図(二重峠、鶴崎~佐賀関)裏面に途中流説_画像5 裏面・途中流説

                

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