津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史学・内容細目(41~49号)

2017-11-30 17:51:58 | 史料

「熊本史學 第41号」

   1 熊本における寄生地主制の展開
   2 矢部・津江地方の菊鹿への依存性
   3 熊本県史料 中世篇補遺 (二)

「熊本史學 第42号」

   1 大友氏の肥後支配
   2 中世城郭岩野獄道祖古城について
   3 熊本県史料 中世篇補遺 (三)

「熊本史學 第43号」

   1 天保期熊本藩政と初期実学党
   2 熊本評論と人力車夫同盟会について
   3 中津・八代給人に関する一考察

「熊本史學 第44号」

   1 戦国期における領主裁判権の特質
   2 中世後期九州の土豪について

「熊本史學 第45号」

   1 中世後期山間庄園における農民闘争の展開

「熊本史學 第46号」

   1 縄文時代遺跡の地域的検討
   2 百姓寄合噺 史料紹介

「熊本史學 第47号」

   1 肥後藩における村高について
   2 九州における民党の形成過程

「熊本史學 第48号」

   1 明治10年代後半の革命思想
   2 和名抄益城国府についての一考察
   3 肥後藩における農民家族の推移
   4 仁一噺

「熊本史學 第49号」

   1 肥後藩の百姓一揆について
   2 木原氏の益城国府説批判
   3 白山御祭礼記録-玉名市山田-
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■小田原三左衛門殿

2017-11-30 08:24:45 | 人物

                          指物  紺・朽葉之染分 上ニ鳥毛 

 小田原三左衛門の「指物」の図である。名前年代から6代目であろうと思われる。
遠祖は小田原姓で三河守を名乗っており、関東の小田原に由来するお宅かと思っていたが、細川家家臣略歴をながめると「こ」の項に入れられており、姓の読みは「こたはら」ではないかと思われる。三河守は豊後大友氏の家臣である、諱を艦秀という。「こ‐たはら」と考えたのは、大友氏の有力家臣に「田原=たはら」氏があることによる推測であるが、これは確認を要する事柄である。
webで検索してみたら、若杉昌昭氏の論考「大友氏の戦国大名化」にその名前を確認することができる。
残念ながらまだ「先祖附」を読んだことがない。11月28日(火)~12月4日(月)熊本県立図書館は蔵書点検のため休館中である。
少々待って先祖附を取得してみたい。

 

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■御家流習字の稽古

2017-11-30 06:52:51 | 徒然

 しょっちゅう古文書に触れていると、読むほうは何とか七・八割方読めるようになったが、書けと言われるとこれは全く書けない。
明治~大正~昭和を生きられた上妻文庫の上妻博之先生の、達筆な毛筆による書写記録を拝見するにつけ、先生のご努力の凄さに驚き感じ入るばかりである。
初見の人であれば江戸時代の人の筆跡と思い込むであろう。
読めない一文字を一時間も二時間もかけて読み解くのに悪戦苦闘するこの頃だが、書くという能力が全く備わっていないのも原因であることは間違いない。
そこで最近筆を購入して、時折習書にチャレンジしている。
以前筆に慣れようと思い「般若心経」を写経したことが有る。これはすぐ頓挫してしまったが、今度は楷書ではなく御家流の崩し字である。
筆の運びも判らない。時折WEBで筆順などをチェックしながら、「崩し字用例辞典」を横に置いて、悪戦苦闘中である。
(崩し字は筆順に関係ないものもあって、訳がわからん・・・)

 

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