細川家の重臣・松井佐渡の仲間・喜平が彦山村から槻の木に向かう途中で休憩したのは、道筋の途中の薬師峠にある茶屋である。
薄田泣菫の小説「小壺狩」に於いてはそのように設定されている。
ここで喜平は茶屋で一休みして「麦こがし」を食べた。喜平は小壺を見つけて茶屋の主人に頼み込んで買い受けるのである。この品が後に佐渡の手にわたり、忠興公のお目に留まることになる。古田織部の目利きを得て、「山の井」と名付けられる名品となり、今日に至っている。
佐渡は忠興に献上しようとするが、忠興は「佐渡の許に於かれるべき品である」として断るが、佐渡の死去後遺物として細川家に渡った。
この小説の許になる記述が綿考輯録にあるが、場所は越前の「ゆのふ峠」とある。仲間・喜平のモデルは、れっきとした康之の家臣・稲津忠兵衛という侍である。その他はほとんど綿考輯録の記する所をベースにしている。小説の方はいささか面白おかしく脚色しているように思えるが、大筋間違いない。松井家では「松井肩衝」とか「稲津肩衝」とか呼ばれていたようだが、古歌「浅くともよしや又くむ人もなし我にことたる山の井の水」から「山の井」と名付けられた。
18日(土)の史談会ではこの話を少しご紹介しようと思い、「小壺狩」を精読している。
青空文庫でも読むことができる。「小壺狩」