津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■雑色草書(2)

2017-11-13 20:22:19 | 熊本地震

 一一
一御領内之銅唐金等之古地金他國え持出候付、古地金拂細工指支候段、町中きせる屋共より依願他國出被指留
 候事
  但、四ヶ所町え達之文章ハ、右町諸達帳ニ有之候、熊本町え之達日帳ニハ見兼候、きせる屋共より願之書付
  ハ記有之候也
  右明和元年閏十二月

 一二
一鳥打ニ子供大勢付廻妨ニ成候様子ニ付、以來付廻不申様堅可申付段達之事
  右明和二年三月

 一三
  「安永七年正月日帳
 此五銅貮銅之儀、年々暮ニ至り相納來候處、以來ハ翌正月廿日より廿九日迄之内、無間違相納候様及達候事」
一町中掛/\ニ聊宛之用銀仕立候様被仰付候、右之旨趣ハ後年米穀高直之年柄も有之、末方急飢之者取救之為之
 用銀ニ被仰付候、家持一軒より一ヶ月五銅宛之出銭、右之取立ニて若不同も有之候ハヽ、取計之趣次第ニハ戸口
 ニ懸候て之申談も、勝手次第之段達之事
  但、十二月ニ至り納帳之下書相渡、尤當六月より
  右明和二年五月日帳

 一四
一御花畑近火、又ハ火間候ても風並次第ニは一掛り之人數、早速表御門前ニ馳付可申候
  請持左之通
  安永元年三月
  此四懸御奉行中え馳付ハ御免
     西古町     中古町
     東古町     新坪井町
  「寛政元年二月日帳
  此馳付東古町・新坪井町ハ隔月受持ニ相成、且又失火之方角次第ニ馳付申筈ニ相究候事」
 右一ヶ月受持輪番相定、以来無間違様可申付置旨及達、尤右之趣、御小姓幷御廣間御番えも知せ置候事
  右明和二年七月日帳
  但、同七年閏六月ニ掛宛ニ成ル

 一五
一九十歳以上達之儀、前年十二月中達來候得共、以來ハ九月十日を限可相達旨申付候事
  右明和二年七月日帳

 一六
一相撲取共、於他國身持不宜、修行おこたりわざもつのり不申、第一風俗にかヽり御國之儀も評判可致哉、此所を
 存、平日身持相慎相撲之修行出精可仕候、自然相背候者も候ハヽ、重て他國へ出シ申間敷旨達之事
  右明和二年十一月日帳

 一七
  「此一夜宿明和八年十一月被指止候、天明三年三月新坪井町米屋惣吉被仰付候儀先ニ記ス」
一他所之飛脚又ハ廻國之僧俗等一宿之儀、旅人問屋中輪番請持ニて候處、色々難澁之趣相聞候、依之右躰之者一宿
 之儀、呉服三丁目十右衛門相願定宿被仰付候、右付て問屋中より一ヶ月貮拾貮銅宛十右衛門え相渡候様及達候事
  右明和二年十二月日帳

 一八
  御使者宿
                        古米屋町壹丁目
                           旅人問屋
                              肥前屋
                                権左衛門

                        西唐人町
                           右同
                              和泉屋
                                茂平次

                        呉服貮丁目
                           右同
                              薩摩屋
                                善 七
                              「忰 政七」



                        呉服壹丁目
                              銭屋
                              穀物問屋善十郎

                        呉服壹丁目
                           旅人問屋
                              綿屋
                                次郎左衛門
    「中唐人町      古魚屋三町目
       茶屋助三郎     米屋緫右衛門
      古川町      新古川町
       八代屋栄助     日向屋亦右衛門
      紺屋町
       油屋甚五郎
    天明三年九月日帳
     右之者共御使者宿増人被仰付候事」
   
此儀使者宿、萬屋太郎左衛門、佐賀屋武二郎へ被仰付候も先ニ記ス
   右銭屋善十郎以上四人幷長崎屋傳次郎、都合五人ニて御使者宿相勤來候處、其後一統打込ニ被仰付候得共、馬會
   所方角ニ付脇方えハ遣不申、前々より勤來候事故右五軒ニ遣候由、先年御使者宿被仰付候節ハ、通懸り之一宿、
   大工宿共被指免置候とも、一宿之儀惣打込ニ成候已後ハ、大工宿も一統ニ仕候、五軒之内長崎屋は去々年客帳
   上ヶ置候付、當時四軒ニて相勤候間、今度右綿屋次郎左衛門被指加被下候ハヽ、前々之通五軒ニて相勤可申由、
   銭屋善十郎ハ願筋御免被成候付、此節之願ハ除キ候様申由ニて、右権左衛門・茂平次・善七三人より次郎左衛門
   共ニ四軒ハ大工宿之儀御免被下候様ニとの趣願出候ニ付、傳次郎代ニハ次郎左衛門相勤候様、外々之一宿ハ呉
   服三丁目十右衛門え被仰付候、大工宿ハ平生無之、且宿賃も依願被増下候事ニ付、先今迄之通心得候様及達候事
    右明和三年五月日帳
                   

 

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■雑色草書(1)

2017-11-13 17:49:43 | 熊本地震

 「度支彙凾」「明和繁雑帳・會所舊記」をご紹介してきたが、膨大な量なので続けているとタイピングにあきが来てしまう。
今回は同じ「藩法集7熊本藩」にある「雑色草書」をしばらくご紹介することにした。ご理解のほどを・・・・・・ 

 先達て町方帳面之内目録出来いたし、右之内、日帳目録之口ニ記置通、式ニ成候儀も、帳面之内ニ有之事ニハ候
 得共、目録打出ニいたし置迄ニてハ、日帳吟味と申場ニ心付申間敷儀も往々相見、間違も可有之哉、何れ已来
 ケ様なと式ニ成候類は、兼て見馴居不申候ては難成事ニ候、依之市井式稿ニ有之事之内變し候儀、然處新ニ格式
 立候儀等ニて、式稿ニ頭書も難成類段々有之候ニ付、此類其外ニて兼て見馴居候て便りニも可相成儀等相撰ミ、
 此一冊ニ記置候條、式稿葉不及申此内ニても後年改り候節は、其稜々ニ頭書を用、新ニ格式立候儀、其外見合ニ
 も相成有之候ハヽ、無怠慢書継可申事
一此一冊ハ、大體引取書同前ニて旨趣分り候迄ニ付、其時之文章てにをはまても入用之節ハ、其帳/\を直ニ可致
 吟味事
一此内ニも、式稿ニ有之事ニ類し候稜も有之候、事ニ臨ミ彼是通して可遂吟味候、此段最肝要ニ候事
  天明ニ壬寅年八月 

 
一十五歳以下之者えは、駄賃馬牽せ不申様ニ心を付可申旨、馬指へ申聞候事
  右寶暦十年十月日報

 
一來年本座行司、新坪井町米屋清四郎被仰付度段、大夫より相達候ニ付、年行司帳本平町人より相勤候儀も有之
 候哉と尋候処、平町人年勤候各は無之候儀も有之候哉と尋候處、平町人相勤候格は無之候得共、新坪井町
 本座少ク、外ニ相勤候人柄無之由ニ付、其通及達候事
  右寶暦十年十月日報

 
 「此儀付てと相見、江戸四座之大夫次第等及問合候趣、委細江戸扣ニ有」
一當正月御謡初之節、両座行司座着致前後候、以来御謡初其外不時御祝事等ニて両座年行司罷出候節ハ、座ニ不
 拘身之次第ニ座着可仕旨、此段後年共ニ違却無之様可申談置旨達之事
  右寶暦十一年十月日報
 
 四
一他国之六部千ヶ寺参巡禮等之類、往還筋之外猥ニ致徘徊候儀ハ難成事候處、猥敷趣相聞候、右付て寺院幷町家ニ
 て笈を預候者ハ、急度可被仰付候、且又浄瑠璃語等之旅人、芝居興行相濟候上ニても相滞、旅人問屋外ニも止宿いた
 し候様子ニ付、芝居興行相濟候ハヽ早速本所へ指返、問屋外ニは堅宿仕せ間敷旨達之事
  右寶暦十一年十月日報

 五
一町家之者、出火之節御家中馳付之日雇ニ相成居候者共、於火事場、町火消ニ對し狼藉之仕形有之段兼て相聞不届
 ニ候、以来右躰之儀於有之ハ、屹ト可被仰付段達候事
  右寶暦十ニ年八月日報

 六
 「元文三年十一月十八日御沙汰御家老中ハ五段松也」
一先年御家中門松、都て三段松被仰付候節より町家之者も三段松建候由「寶暦二年十二月五日御觸」近年御家中
 之門松、以前之通相成候已後五段松建候者も有之、區ニ相聞候、尤町家之者ハ買調候事ニ付、五段・三段勝手次
 第相心得候様達之事
  右寶暦十三年十ニ月日報
 「天明二年十二月、御家中え相渡候門松、来年頭よりは三段松被渡下候由、尤建山所持之面々は今迄之通勝手次
  第之段達有之候、町家ハ相對ニ買求建候ニ付、此節は不及達候事」

 七
一丁頭申付も御町方口之間、別當被仰付候節も同所ニては、不都合ニ付、今度中古町市原惣五郎別當被仰付候節よ
 り相改り、別當役は佐貮役申渡ニ相成、堅メ之儀ハ今迄之通御町口ニて申付候事
  右明和元年五月日報

 八
一御家中小路家舗内所々ニ紺屋職之者致居住、染物を干候様子ニ相見、甚不見分ニ候、御家中屋敷ニて致染物候儀、
 急度指留可申段廻役え書付相渡候事
  右明和元年八月日報

 九
一町内之者調合之鹽焇致商賣度者は、向後願出被指免候上、御中小姓已上えは手形を取、其以下えハ請人相立賣渡、
 若吟味之節ハ為證據右之書付指出候様、左も無之於致商賣ハ可為越度段及達候事
  右明和元年十月日報

 十
一長崎え為稼罷越候者付てハ、彼方御奉行所時々御改有之候由、依之問屋之外脇宿仕間敷趣、市中え御觸有之候付
 て、此元より長崎え罷越候者、問屋外相對宿不仕様、且廻船ハ積荷も有之事ニ付改を請致水揚候様、風波之難ニ
 て、彼地え致廻着候ハヽ、紛無之趣問屋より證文指出、改を受致水揚筈候段、長崎より申來候趣達之事
  右明和元年十一月日報

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■途中流説(ニ)

2017-11-13 09:50:28 | 史料

                 途中ニ而見受候分
                 内牧千石橋ノ邊ニ村役人四五人百姓三四十人寄合居不審有之  
                  内牧宿ニ而承り候者坂梨ニ而立籠ニ入置し志様子有之  
                  二三人縄付ニ而熊本江罷出候由
                 大牟田ニ而士三人鑓壱本印者※1如図白ニ朱ノ紋歩行ニ而  
                  通り申候壱丁程サキニ而小高キ所ニ百姓両人呼寄候事ヲ
                  申付候哉百姓平伏いたし居申候故小屋之亭主ニ承り候へ共
                  何方之士と申儀不存候
                 今市高札
                  さつ(雑)説申候者其所之百姓たり共召捕申出候者ハ褒美
                  被下置候         郡奉行

                 ワサタノ市庄や弁指打崩申候 左庄屋右弁さしと
                 相見江居宅者不残崩片付有之候間位と申處不相分
                 尤蔵一ヶ所二間梁四五間位と見候 人長ヨリ下壁大破
                 瓦半ハ取はぎ鉄ノ窻ノ子打ヲリ有之候

                 ハギ村 質や高札晦日ヨリ正月十五日迄受質丈不申候

                 山津村 御買物所打崩申候居宅不残崩レ蔵二ヶ所
                 及大破所々柱等を切ヲリ有之候 ワサタノ市ヨリ手強キ
                 様ニ見候

                 大ノ瀬臼杵領御買物所焼崩有之候ニ付間数不知

                     帰路

                 萩原村二テ士壱人若黨五人雑人相當旅行
                 ノ様子ニ付馬士ヽ承り候処龜之進様御家来
                 平野傳右衛門江戸出府之由
                 瀬戸口坂ニテ馬上壱人歩立一人供不見尤
                 陣笠着用様子不知六里塚ニテ士一人鑓印※2猩々波黒横筋
                 見受候ニ付場士ニ承り候処嶋原ノ御家来高松江
                 出役之由

                         
                          ※2  ※1

              文化九年正月十四日ヨリ佐賀ノ関
              権現社参詣同廿五日帰宅
             一郷村ノ名同次第往来問農夫依其答
              言記之前後可有相違
             一従靏崎佐賀ノ関迄往還所見及
              図之川ノ屈伸海邊等不審
             一往来流言直ニ記之其實否不審

                         (了)

 

 

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