昨日公表されたJR熊本駅白川口(東口)駅前広場の整備イメージ図、熊本市が2021年春の駅ビル(左上)開業に合わせて整備する。
1606年(慶長十一年)
・彼(ヨハネ・ロドリゲス師)は豊前の城下小倉で、大名越中殿(忠興)ニ敬意を表したが、大名
は、彼に司教のミサに臨席する許可を請うと共に、宗門と宣教師等とを續いて保護して行くこと
を新たに保證し、大名自らも、親中派キリシタンで未だ聖なる洗禮を受けてゐないが、司教猊下
より、自らを精神的の子の一人と認めてもらはねばならぬ、又自らがキリシタンたる事を宣言し
洗禮を受けることの出来ない唯一の理由は、諸侯がキリシタン宗に改宗することを禁じた公方の
意思に添うためである、と言った。
1607年(慶長十一年)
・豊前の大名越中殿も同じく、自由を與へていた。その子で後嗣である内記殿(忠利)も亦
劣らず好意を示した。この地方では、教會の諸務はカトリック教國に於けると變り所なく、厳粛
に執行されてゐた。四句節に何時も身を入れてやつた事の一つは、毎金曜日に、男は天主堂で、
女は自宅で、鞭打ちの苦行を行つたことであつた。一體、天主堂では、血の出るまで例の苦行を行
不ことは禁じられてゐたので、人々は夜分出かけ、外垣の中、即ち天主堂の前庭にある十字架
の許に行つて、各々自ら鞭打つのであつた。越中殿の母は、かうした信心から出た厳格なる苦行の
事を色々耳にすると、これを目のあたり見たく、侍女や町に住む武家の夫人達大勢と連立つて來
て見た。彼女は痛く感心し、若し其處に救ひの道を認めなかつたら、誰もかうした苦行をする譯
がない、と言つて褒めるだけでは氣が濟まず、侍女の中でキリシタンになりたい者があれば、な
つてもいゝと言つた。この奥方は、屡々天主堂を訪問したり、十字架を拝んだり、進んで教を聴
いたりして、信仰を抱く心持のたぶんにあることを示した。この夫人の子で、領主の弟なる人は、
若し公方の怒りを招く恐れがなかつたら、キリシタンになつたに相違ない。彼はその點に就いて
は、領主の後嗣の内記殿と同じであつた。立派なキリシタンである家老の一人は、死刑の宣告を
受けた人々が良い死を遂げるやうに説教を聴かせ、洗禮を授けてやつた。果して若干の者が、こ
の無限の財寶を有益に使つた。或る異教徒がいたく苦しむように頭を下にして十字架につけ
られ、終日そのまゝに放棄されたところ、熱心なキリシタン達が彼の側に近づき、キリシタンの教
を信じて死んで行きたいかと訊いた。果して、彼は然りと答へ、更に自分は屡々傳道士の説教を
聞いたことがあつて、イエズス・キリスト之教の外には、救濟の道がないことを知つた。自らは
間もなく死んで行く身であるから、皆様私をキリシタンにして靈魂をお救ひ下されといつた。ぬ
かりのない神父は、彼の許に傳道士を遣はし、傳道士が教義の大要を説明してやると、彼は罪を
深く悔ひ、聖なる洗禮を受けた。日が暮れて役人達が刑執行のために來り、槍をもつて刺し、一
路彼を天に送つた。同宿の面々は側を離れず、キリシタンと共に彼の魂のために祈り、息を引き
とるまで彼を励ました。
一キリシタンの婦人は、早朝ミサに行く道すがら、菰に包まれた生まれたての嬰児が川に流れて
行くのを見た。彼女はキリシタン某を呼んで、水の中に入ってその嬰児を拾はせた。婦人は、
すぐその子を天主堂に連れて行き、洗禮を受けさせてやれば、同日この子の魂は天に昇つた。
最近「日本の古本屋」で手に入れた、山崎貞士著の「東肥花譜・肥後の花と人と」を読んでいる。
著者貞士氏は肥後六花「肥後山茶花の祖」と言われる山崎貞嗣氏の孫に当たられる。
肥後六花並びに貞嗣氏周辺の話でまとまられているが、我が「新・細川家侍帳」を補足するに大切な情報が沢山見受けられる。
尚、「肥後六花」については著者も述べられているが、昭和49年の7月24日から占部良彦氏が毎日新聞に「肥後六花」を連載されたが、当サイトに於いてもご紹介しているので、念のためご紹介しておこう。
肥後六花-1 「肥後の朝明け」
肥後六花-2 「キンキラキン」
肥後六花-3 「花連小史」
肥後六花-4 「花とモッコス」
肥後六花-5 「くだり花」
肥後六花-6 「満月会」
肥後六花-7 「陰陽五行」
肥後六花-8 「足曳き」
肥後六花-9 「牽牛子」
肥後六花-10 「植木屋文助」
肥後六花-11(了) 「五月の雨」
これ等の六種類の花(肥後六花)を育てた人々は「満月会」という会を立ち上げて切磋琢磨したが、会長は貞嗣の伯父にあたる吉田潤之助が勤めたという。
白川公園の裏手にあたる法然寺に顕彰碑が立てられている。
佐藤仙九郎---+---(嫡子)仙右衛門
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+---(二男)吉田潤之助 肥後花菖蒲之祖
| 細川斉護代主命ニ依リ菖蒲ノ分苗ノ交渉ヲスルモ不可、
| 故ニ浪人菖翁ニ弟子入シ培養法ノ伝授ヲ受ケ天保四年帰国
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+---(三男)須佐美七郎助
| +--佐寿(岩崎武平室)
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| +--満寿(石川源八郎室)
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+---(七男)山崎久之允 +--豊 (中村新太郎室)
↓ |肥後山茶花之祖
山崎伝左衛門=======伝左衛門------------+--半之助(貞嗣)ーーー貞雄 ---貞士
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+--寿喜(渡辺直之允室)
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+--江賀(杉山平四郎室)