我が史談会の会員である大矢野氏は、熊本地震に被災されお住まいは半壊状態になった。
その為、自宅に保管されていた「宜紀公の一番具足一領」が、地震直後に設立された熊本被災史料レスキューによって救出された。
そして熊大永青文庫研究センターの稲葉教授の手により、その預り「証書」が確認され、新聞報道などもなされて世間の注目を浴びた。
又、九州公立博物館でも展示されるなどしている。
その後、203点にも及ぶその他の甲冑その他の預かり証文が確認されて、これが「永青文庫研究・創刊号」に、同センターの今村直樹准教授によって「廃藩置県後の細川家当主所用甲冑と旧家臣」という論文が発表された。
ここに203点の品物の内容と預けられた家臣の名前が一覧で示されている。
大変興味深いもので、我「新・細川家侍帳」に反映させようと頑張っている。
この一覧には登場していないが、上田久兵衛の日記の明治五年四月廿四日条に、娘婿である我が曾祖父か、久兵衛室の父である沼田九八郎が「具足一領」を預かったことが記されていると紹介されている。
(但し、この文章には錯誤がある。沼田九八郎の長女聟は上田久兵衛であり、又太郎はその娘婿である)
これには驚いてしまった。久兵衛の想いは高祖父又太郎の想いでもあったろうと思われる。
しかしながら我が家では「綱利公の甲冑」をお預かりしたというような話は伝えられていない。
久兵衛の岳父である沼田家が預かられたのではないか。
思いがけないこの論文に少々驚きながらも、我が家の家譜に付け加えなければならないと思っている。