熊本に唯一ある百貨店「鶴屋」の裏側に、とてもお寺とは思えない近代的な装いのビルがあるが、今回取り上げる「蓮政寺」である。
加藤清正の叔父にあたる加藤清重の菩提寺として、慶長三年に建立せられたとする。
道の反対側が鶴屋百貨店、建物左手は蓮政寺公園が広がり、小泉八雲旧邸が移築されている。
今般ヒョンなことでこのお寺の絵図が売りに出されていることを知り、内容物が判らないまま購入の手続きをした。
厳重な梱包の郵便物が届き開いてみると、桐の箱が出てきた。中には墨書彩色された絵図が入っている。
時代も作者もまったくわからないのだが、「安巳橋通り」という書き込みから、安巳橋(安政橋)が出来たのが安政四年だとされるから、それ以降のものだということは判る。
藩政時代はこの一角に膨大な寺地を有していたが、西南の役の被害を受けたと思われるし、第二次世界大戦の熊本大空襲の時は焼失しているようだ。
お寺の敷地の一部は、鶴屋百貨店の敷地に取り込まれ、道路が作られて「蓮政寺」の敷地は現在では1/4程になっているのではないか。鶴屋百貨店は昭和28年6月28日の熊本大水害で地下及び1階が水没する被害を受けたが、実はその年にオープンしている。
事実の確認をしなければならないが、どうやらこの一角の区画は、鶴屋百貨店の建設に当たり整理され現状のような状態になったのではないかと推察される。表通りは鶴が飛び来る大きな屋敷「鶴屋敷」が在ったため「鶴屋」の名が付いたとされるが、裏手は広大な墓地が広がっていた。その墓地が整理され、百貨店の敷地に取り込まれ、裏手が市道が新たに作られた。
幕末我が家は此の近所にあったし、この絵図がいろいろな空想をもたらしてくれる。
正面道路に蓮政寺通り(現・駕町通り)の書き込みがあり、山門から真正面にお寺の建物と庫裡(?)が見える。
朱色が施された部分は墓地である。蓮政寺通りの上部に手取本町、下部に安巳通りの書き込みがある。
左手に見える木立や石垣は熊本城の馬具櫓・書物櫓か?