六七五
在中御免之者之事
一山伏熊本 一こも僧同
右之分は頭々立札を持御郡へ罷出候事
一出家 山伏 社人
右在々旦那廻り御赦免之事
一川祭配札 一比丘尼 一ひしやきたゝき
一手すゝ 一座頭 一ごぜ
一合藥賣 一鉢開
右之分在々へ参候儀御免ニて御座候へ共、御所務半ハ御
停止之事
六七六
鶴崎筋人馬之事
一公用幷江戸へ八代みかん被指上候節、又ハ江戸御上下之
砌、人馬御郡役ニ被仰付候、右之外御用之人馬之事、定之
賃銀を被下被召仕候事
六七七
死人跡目之事
一相果候者之子、歳十五ニ成候迄ハ、如常百石ニ四人扶持
可遣事
一不届事無之者之子、歳十五ニ成候ハヽ、跡式遣可申事
一子も無之女計有之者之儀は、一年扶持方遣其後は心儘ニ
可申付候、但所務半ニ相果候者之儀は納取候應所務扶持
方可遣事
一子も無之女他國ニ親類有之者、他國ニ参り度と申者ハ可
遣事
一子々有之者相果、其跡式扶持方ニ申付候者之儀は、何時
相果候とも役儀申付間候事
一子々無之者相果候跡之儀は、勿論何時相果候とも役儀申
付間敷候事
一討死之跡は幼少なる子ニても跡可立事
一奉公忠節有之者は、様子ニより討死同前ニ可申付候事
右之ことく可申付者也
寛永十五年十二月十日 妙解院様御印
奉行中右同前御書出 奉行中
寛永十八年九月廿一日 眞源院様御印
奉行中
六七八
病死御侍中へ御知行被遣様覺
一八月より十二月迄之間病死仕候者上知之事、嫡子各別御
知行被遣置候者、親々跡式冬中ニ被仰付候へハ、親々物
成共嫡子え被為拝領、嫡子之先知ハ物成共ニ被召上候事
六七九
新知・御加増知物成被為拝領之事
一新地御加増被為拝領候事、十月中迄ニ被仰付候分は其年
之物成より被為拝領候事
一十一月朔日より以後被仰出候分は、其年之物成は不被為
拝領候、翌年之春田より被為拝領候事
一江戸御供ニ翌年被召仕候分は、年内中被仰出候ても其年
之物成より被為拝領候事
右之通寛文九年十二月十二日被仰出之宗、御家老中より
被申渡候事
六八〇
御知行割之事
一高定は其年之土免物成を四ッ六分ニ割定、眞源院様より
之如く秋免三ヶ年之内下免一ヶ年除キ二ヶ年を撫し、此
免ニ當り申村を割可申と御奉行衆へ被仰渡候
撫免三ッ七歩五朱
一四ッ三分壹朱壹厘より上ル
同三ッ八分五朱
一四ッ四分貮朱六厘迄
右之通寛文十年五月相極なり
本之四ツ六歩ニて渡來候得共今度御参談有之、當秋よ
り新地御加増幷御蔵米渡知行物成高、御役料一つ物成
共京舛四つ成ニ〆相渡か申候、尤只今迄之通、秋物成
三ヶ年之内下免一ヶ年除地割仕候てハ物成減、何レも
不勝手可有之候間、向後は貞享元年之下免知行替え被
下候通、高免下免を六ヶ年撫京舛四つニ〆、地割仕相
渡可申宗候事、元禄五年七月廿九日
六八一
御蔵米を以御知行物成被為拝領候算用合之事
一高百石
物成四拾六石 京舛四ッ六分
外ニ
壹石三斗八升 三ノ口
合四拾七石三斗八升
内
四斗六升 一ノ口御代官へ被下候分
壹斗五升 小庄屋給
残て
四拾六石七斗七升