新しい時代の新一万円札に渋沢栄一が採用されることになり、関連する書籍が大いに売れているらしい。
この城山三郎の「勇気堂々」も品不足状態らしい。
わたしは初版本を購入して読んだことを覚えているが、これまた段ボールの中に疎開しているらしく見つけ出せないでいる。
実は高祖父・上田久兵衛がいささか渋沢栄一とかかわっている。久兵衛は一橋慶喜と何度か面会しているが、渋沢は慶喜に仕えていた人である。
(安藤優一郎に「渋沢栄一と徳川慶喜」という著作もある)
「幕末京都の政局と朝廷ー肥後藩京都留守居役の書状・日記から見たー」によると、二人の交流は10数度日記や書状の中にその名前が見える。
渋沢を介して久兵衛は慶喜にいろいろ建言していることが判る。
久兵衛の刑死後渋沢は上田家に弔問の書を送っているらしい。又遺児は職を得ようとでも思ったのか渋沢家を訪ねたりしている。
大叔父の言によると上田家は経済的にも困窮し、女婿である曾祖父はその援助に勤め「その後の我家の困窮の原因もそこにある」としていた。
久兵衛の日記や書に触れるとともに、この度の渋沢栄一の朗報に接すると、いささか感慨深いものを覚える。
付足し:1,000円札に登場する「北里柴三郎」は熊本県小国の人である。若い人たちは名前も知らない人が居るらしいが、まさしく郷土の偉人である。地元小国のみならず、熊本県民が湧いている。ちなみに現在の小国町長は、縁戚筋にあたるという北里耕亮氏である。